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novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

過剰診断の理解が難しいポイント

社会

そもそも、疫学自体も理解が難しい人がいるというのが現実だということに今更ながら気づきました。

と言っても、理屈が理解できないという話ではないと思っているんですよね。その理屈で導き出せる結果がリスク評価である、ということが受け入れられない、というだけなのではないかと。

つまり、確率の問題から脱却するための答えがあることを頑なに信じている人においては、疫学で導き出せた答えは答えではないんですよね。じゃあなぜ君たちは空気を吸って水を飲むのか、と思うこともあるんですが、この点は経験上問題ないという根拠のない事実を更に根拠なくこれは問題があるこれは問題がないと区別しているんですよね多分。で、そこの判断基準というか間隔が共有できないことが相互理解を阻害しているのかなと。

例えばガンであることは常にわかったほうがよい、という命題が無条件で正しくなる世界観においては過剰診断の概念は実に理解しがたいのでしょう。この世界観は常に「知りうるべきことを知るのが人間としての十分条件」という命題が成立していて、知ることが行動を変え、結果に影響することは重要ではないんですよね。ただ、本当にこの世界観が完全であれば、知ることは結果に影響を与えません。なぜなら結果についても常に知ることができるからです。しかし、なぜ今科学が万物理論を持っていないのにその世界観が採用しうるのか。それもちょっと違うか。実際にはそこまでの世界観があるわけではなく、単に「知ることで正しい選択ができる」と思っているだけですね。本当に正しい選択ができるのであれば、過剰診断のリスクは診断そのもののリスクと近いものでしかない一方で医療費の問題は解決しないわけですが。

はいといいえで答えられる質問に答えないこと

雑記

論争において論者の適格性とか、理解の確認とか、まずはいといいえで答えるべき質問を投げなければならない状況下において、問いかけられる方のプレッシャーというか、追い詰められ感はものすごいものだろうと思う。回答すなわち敗北である。はいで答えてもいいえで答えても負ける。自分の過ちを認めるか、自分の馬鹿さ加減を認めるかのどちらかでしかないからだ。幸いにして僕ははいかいいえのどちらかを要求される局面にそうは相対することはない。

といっても、実のところ自分の過ちを認めることは別にそんなに大したことではない。完璧な人間でいることは不可能だし、世界の真実は毎日変化している。であるならば、今日正しいと思っていたことが明日間違っていたとしても不思議ではない。思い込みで議論すること自体も別に悪いことだとは思わない。ただ、議論するのであれば自分の意見より客観的に正しいと思う意見には服すべきだし、論者の適格性とはその判断を下せるのかどうかに他ならないので、例えば専門分野でないが故に議論に破れるのであれば、自分が専門家と議論するに足るものを持っていないことを認めることは次に進む第一歩であり、人生における敗北ではない。

 

iOS版はてなブックマークが改悪されすぎて辛い

Web

なんでブクマページ開いたらダイジェストがデフォルトで出るようになってしまったのか…この前までは前回選択していたところ(つまり、僕の場合はコメントタブ)で開いていたのに…

あわせて読みたいに誘導したいのかもしれないけど、そもそもそういうUIじゃないでしょこれ…