novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

今日のラーメン:麺屋HERO

今年の宿題を粛々とこなしたいんだけど、トップターゲットの池田屋になかなか行けず、ようやく食べれたので更新。

いつものとおり、時系列でぼちぼち。

東京(丸の内) 松戸富田麺絆。ラーメン屋が集まっているところに。昼の時間を外していったので行列はあまりなくて、でも提供までめっちゃ時間かかった。うんまあしょうがないのはわかるんだけど、急ぐ人がそれなりに多い立地でそうきますかねと。千葉駅のはそんなに待たされなかったものだけどなあ。そして店員教育をやりながら、みたいになってる。まあそれもしょうがない。味に関して言うとなんというか今更言うことはない感じ。最近つけ麺も個人的リバイバル感があって良く選択肢になるんだけど、品質の高さが目新しさとは対極に振れているので通う店ではないな。それも含めてこの立地、なのだろう。

高田馬場 破壊的イノベーション。再訪してしまった。立地が悪いから店主が客がコネーコネー言ってるし、イカ(煮干し)の日だけ行列ができるって言ってた。ごめんイカの日に行きました。そりゃ滅多に行けないのにどっちかは限定があるって言ったらそりゃ限定ある日に行くよね。とはいえ、もう一回食ったし次はイカない日に行こう。空いてるだろうし。趣味の問題ではあるけど相当刺さってるので定期的に行くわ。

三鷹 裏健やか。そもそも表も行ったことないんだけど月曜だけやっている裏で濃厚煮干しを出しているので祝日にしか食べれないものと考え行ってみた。味は普通です(お前が言う普通とは)。月曜にしか食えないということでなければ定期的に行くんだがなあ…

浜松町(大門) 集来。存在は知っていたが一度も行ったことがなかった会社近くの店。手打ち麺とタンメンがウリの店。タンメンと言えば美味しんぼにおける「タンメンしかありません」の店のモデルってどこなのとか色々思うところがあり、また今世紀に入ってからトナリが名を成したことでブームが来たんだと思ってるけど、当時2chのスレで御三家とか言われてた店はどこだっけかな。うちの近所にある十八番とかも入ってたけど、そういうオールドなタンメンの一派。野菜炒めの生姜感強め、手打ち麺(ちょっとだけ高い)が麺モチモチで美味い。今流行りのラーメンとはぜんぜん違う何かではあるし、トナリとかのはやりのラーメンに寄せてあるものともぜんぜん違う。生姜の強さとかもトナリでなんで生姜あるんだろうと思った源流はこういうやつかと納得した。まあ決して最近流行りのラーメンみたいな旨さはないけど、食い物と考えたときのレベルは十分に高い。

高円寺 山と樹。宿題になってた。良く通りかかるものの行列ができているので。本当は東高円寺の別の店に行く予定だったんだけど、しまってたので適当に歩いてたら寒いせいなのかそんなに行列長くなかったのでいい機会と思って並んだ。思わずつけ麺を頼んでしまったけど、こっち系のつけ麺として王道の味付け(少し甘酸っぱい)のスープで良かった。醤油ダレ系つけ麺はそうでなければならない。甘酸っぱさのないスープだけで食わせられると思うか?だったらラーメンだけ出しとけ、みたいな店がたくさんあるんだよなあ。次はラーメン食わないとな。

大泉学園 麺家 紫極。元々仕事先の近くでもあるさいたま新都心にある店の2号店?で、当時からかなり人気の店だったんだけど、前述の通り家系にあまりコミットしてなかったため一回しか喰ってない。ので、あらためて最近できた近所ということもあり、来訪。うん、ザ家系って感じよね。家系って牛丼やカレーみたいななにかだな、と思い始めている。もう少しいろんな店に行ってみよう。

さて、今回、二郎系ラーメン2店舗行った。そもそも二郎系とはなんぞやという話なんだけど、やっぱり二郎系というのは二郎っぽい何かということであるんだけど、実際のところ世にいう「二郎インスパイア系」は二郎っぽい何かではない。いや二郎っぽいんだけどそうじゃなくてな。んで、ぽさってのはなにかってのを考えている。

二郎なんで立体的な軸はいらんだろう。で、インスパイア系ってのは大体左っ側なわけ。少なくとも僕が今まで行ったやつはね。見た目はたしかに二郎っぽい何かなんだけど、二郎ってやっぱり二郎じゃないといかんじゃないですか。そういう意味では左っ側のインスパイア系は二郎ではない。で、池田屋行ったのよ。これは右だね。右に突き抜けていて別の意味で二郎ではなかった。
二郎系と言われる店、もうちょっと行ってみないといかん。

駒込 麺屋HERO。これは宿題だったんだけど、まあ知っている人は知っている、桜台二郎で助手やっていた人の店だね。以前桜台にいたころとやかく言われていた(個人的にはなんも思ってないが)のは店主と折り合いが悪かったからなんだろうけど、そのせいで二郎の看板を貰えなかった人ってことになっている。真相とかしらんけど、まあどうでもいい。つまり、この店は実質二郎であり、実際に食ってみたら実質二郎だった。それが確認できたのでまあ良いかな。大体酒井くんさんだって自分のお店は二郎じゃないんだからなあ。最近桜台二郎の麺の量減ってない?とか思ってるんだけど、ここは普通に二郎の値段で二郎の麺の量だったし、二郎より二郎していた。雰囲気的に味にブレはありそう。店主、昔よりだいぶ痩せてた気がする。頑張れ。

高田馬場 池田屋。ついに行った。土日の昼にやっているときに行こうと思ったんだけど、一回は用事の帰りで行列すごすぎて諦め(行きの開店前の行列を見て、開店前に並ぶことを決意)。そのあと、土日の午前に開いている日が大体昼営業なし(明け方くらいにツイートされているのでありがたい)。で、ようやくいった。感想は先程のべた通り、行き過ぎて二郎じゃなくなってるけどマインド的には二郎。行き過ぎだよこれ。しかも今日はちょっとスープを薄めてみますってツイートされている。普段どんだけ濃いのよ。
とはいえ、これは二郎というものを完全にわかっている人が二郎を良い意味でデフォルメして作ったものだろう。先の絵で本店の幅がアホみたいに広いのはまあ25年前の記憶だけどそれだけ毎日違ったぜって話なんだけどさ、結局本店が美味い日ってのは右に振れてるわけよ。右って暴力的としか書いてないけどまあわかるよね。まあある意味そこを突き詰めるのは簡単っちゃあ簡単で、ひばりとかはそういう印象がある。それをもう一歩先に進めるとどうなるか。こうなる。個人的にはこれは毎日食える二郎ではないけど、食いたくなる中毒性はある。難点は少なくとも先日行ったときは1300円のラーメンしかなかったこと。確かにその分豚も多かったし、ただ麺を少なくしている人も結構多かったし、そうするとそういう意味でこれ二郎なんだっけという疑問が少し湧いてきてしまうのは原理主義者としてはしょうがないことなのだ。ともあれ、従来の二郎インスパイア系のものとは一線を画したレベルで二郎であったので、これが最近の流行りのというものなのか、それともこの店が特異点なだけなのか、はもう少し探ってみようと思う。

生成AIがもたらす「現実っぽい何か」を我々はどう認識すればよいのか

センセーショナルなデビューを果たした「Sora」ですが、今のところ、「開発チームが生成した動画」しかないんだよね。だから、実際にどの程度の労力であの動画が生成されているのかがわからないので、そこはみんなの期待だけが膨らんでいる状態だとは思う。ただ、この2年位のAI系の発展を見ると、全くのフェイクってことはないんだろうなあと思っています。なぜ一般開放しないかと言うと、倫理が定まってないからではないかという疑いを持っている。なんの倫理かっていうと、AI生成したものなのかどうかが判別できなくなる問題に関するものだ。

今若干怖いなーと思っているのは、AIをビジネスにしたがっている人たちがあまりに無邪気なこと。別に盛り上がりに水を差したいわけではないんだけど、一方であんまりにも何も考えてないとなると、この人たちにこの未来に対して相当大きな影響があるだろうツールを渡して大丈夫なの?って思ってしまう。しまいにゃSoraが生成した動画を「撮影した」とか言い出してる人までいるからな。こういう物事をはっきりと峻別できない人たちがこういうツールを利用することへの危機感というのが常にある。ディープフェイク画像を作るのに相当な労力がかかった昔はそれがハードルそのものになってやる人が限られていたけど、もはやアホがアホのままアホなことをやることに歯止めが効かない状態になりつつあるってことだからね。

この問題に対する、おそらく最も簡単な対処方法は決まっている。「諦める」だ。ここ最近生成AIを活用した非実在ポルノなんてものも大量に出てきてるけど、これはもうそういうものだと諦める。別に誰も被害を受けるわけではないから。それでいいなら話は簡単だよね。もちろん、その中に実在ポルノが混じっていてもわからなくなる世界はすぐに来るだろう。それも諦める。わかりやすいからポルノって言ったけど、ようはすべての映像はそれが仮に信頼できるメディアが流したものであっても「信用できない」ということだよね。
でも、それはそれでよいと考えることだってできる。映像の確からしさなんて、映像における人間の認知能力の貧弱さを考えると今まで信じていたほうがおかしいくらいだ。広角レンズと望遠レンズの映り方の違いですらわからんのだよ?目で見たものなんて、別に信頼できるとは限らないし、それの真実性を判断するには依然として「知識と知性」が必要なことには変わらないのだ。身も蓋もない言い方をすれば、映像メディアなんて過去から今に至るまで、バカを騙すことは簡単にできるものであったと言うだけの話。ただ、それがメディアの手から個人の手に渡りかけている、ということに過ぎない。文章におけるインターネットの存在が、映像における生成AIの問題に変わっただけなんだよ。

つまり、我々が今まである程度信用できるものとしてきた「映像」が信用できるものの座から陥落するということが置きつつある。とはいえこれは困った話で、例えばここ最近進められようとしてきた「取り調べの録画」なんてものも大いに証拠能力を失う羽目になりかねない。現実の映像に真実マークを付けるのか、はたまた、生成された映像に生成マークを付けるのか。それが本当に保証できるのか、ということが整理整頓されて初めて映像についての信用を取り戻せるということだよね。

さて、実際にはまだ「Sora」は公開されてない。世にはすでにフェイク動画自体は溢れているけど、Soraがもたらすクオリティと手軽さ(本当に手軽かどうかはまだわからないけど)がフェイク動画にも革命をもたらすだろうことは自明なので、OpenAIがそこに苦慮しているだろうことは想像に難くない。でも、もうそんなにリアルと生成を峻別できることを僕は期待していないけどね。そもそも映像における「映像そのものの真実性」なんてもの、最初から信じてなかったことに最近ようやく気づいたからね。

僕らが期待しているGoogle検索についての補足

ツイッター…じゃなかったエックスに書いた話の転載。

Google検索が死んだって話を書いておいてなんだが、実際のところ、「ピンポイントで知りたい話を完全に適切なワードで検索をかける」のであれば、まだ目的のサイトにたどり着ける可能性はそれなりにある。

一般人におけるインターネットの黎明期、すなわち1990年代後半において、当時にょきにょき生えてきた検索サイトの一つであり、検索パワーがそれなりにあった「goo」では、検索の鉄人なる検索コンテストを行っていました。もう残ってないけど、プレスリリースはまだ見れる
pr.goo.ne.jp
僕も1次予選通過して記念品の時計貰ったりしたことあるんだけど、ともあれ当時は検索をするイコール適切な検索ワードを見つけ出す、だったんだよね。今で言うプロンプトエンジニアに近い話よこれ。
んで、Google検索が出てきたときに一番ビックリしたのは、そんなにベタベタな検索ワードなしに有用なサイトに辿り着いたってこと。当時はPagerankの威力はものすごかった。
だから、「ちゃんとした検索ワードで検索すればGoogle検索で正しい答えを得られる」というのは僕としては完全に後退している話でしかなくてさ、Google検索である意味というのは完全に死んだと言っても過言ではないのよ。

ブコメに

ところが「ジャパンモビリティーショー2023 感想」だけでも、結果の半数が個人の感想だったわ。正式名称も分かったし、「感想」って書くだけで「行ってきました」「レポート」といった補助ワードも見つけてくれた。 - pmint のブックマーク / はてなブックマーク

確かにそうなんだけど、そもそも「ジャパンモビリティーショー2023」で検索に引っかかるのが開催の案内ニュースが大半、開催された内容を後で紹介する記事が金になるものではないという判断でアフィ勢が誰も参戦していないのでゴミ記事のほうが存在していない、というパターンなんだよね。そういう場合はおそらく「インデックスされる(あるいは優先的に表示される)ページの数」の中に個人の感想とかは入りやすい。