novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

失言で軽くなる本音というもの

「震災が起きたのが東北でよかった」という言葉を聴いて、少なくともこの部分のみについて様々な理由で共感した人は多かったのではないかと思う。そりゃ当然のこと。で、この言葉が問題になって「本音を言うと失言になるのか」みたいなことを言うじゃない。いやいや、本音を言ったら失言、というのであればもっときちんと全部本音を言いなさいよ、と。

この言葉に共感した人の大半は「とは言え、東北で起きた被害は痛ましいし、日本としても大きな損失であることは間違いないし、僕達も支援したりしなきゃ」というような思いも合わせて持っているはずだ。あるいは、もう少し利己的な人は「自分があんな目に合わなくてよかった」で済んじゃってるかもしれないし、ひどい人だと「しめしめ復興需要で儲けてやろう」とか「年寄りの人口が少しでも減ってよかった」と思っているかもしれない。つまり、本音ってのは失言で示される部分以外に何を考えているかによってぜんぜん違うわけだし、失言ってのはそういうことをきちんと見せないまま表層的な部分だけを「公言する」という「職業:政治家」の人にとっては資格を疑われるような行為、野球で例えるとサヨナラ負けしそうな2アウト満塁同点の状況で敬遠四球を選択するようなものでしょ(意味が通じない喩え)。

本音を言えないことが嫌いなイケハヤだって「政策によって中小企業が倒産して家族が自殺するような事例が少なからず出るのは仕方がないこと」って言って問題になったじゃないですか(違うイケハヤだ)。

ともあれ、本音が言えるってのは昔から清廉潔白で清貧をもっぱらとする人の専任事項だった気もするんだけどね。今の本音が言えないって人の本音ってのはちょっと前だったら「言うのが恥ずかしい」レベルの自己の曝け出しだったりもするよね。特にヘイトのようなものは。

(表層的な)本音を言ってしまうのは結局のところ失言だろうし、本音を全て言いたいってのは社会的存在としては幼稚であるだけだろうし。「言えない」って感じてしまう本音ってのは少なからず「言ってはならない理由」があるし、その理由が正当でない場合に「言わない」を選択しなければならないのであればそれは自分を恥じるしかない(もっとも、言わないが最適なソリューションであることを納得する場合もある)。

メルカリはネットのスラム化を加速するのかな

厳禁出品の件については単純にマネロンでアウトだろという声があってなるほどと思ったんだけど、Suica売るなどあの手この手でカードの現金化をしようとしているところを見ていると、企業と役所の統制が取れないCtoCは地獄にしかならないな、と思ったわけで。そういやP2Pも盛り上がっているんだけど、結局のところビットコインとはなんだったのか(まだ終わってないが)と考えるとこの手の話のもっと強固で適法性の強い実装にすぎない、と思ってしまったりもする。

既存の社会が実現してきた、窮屈かもしれないけど一定の安全弁がある仕組みをぶっ壊したくて仕方のない人がたくさんいる。ホリエモンだって、三木谷だって、正しいことも言っているが間違っていることも言っていて、現行の規制が誰かの利益のためだけにあるようなことを言うときには典型的な「別の権威による置き換え」を感じたものだけど、もっとダイレクトにやったもの勝ち(まだ勝ちきってないけど)でなんとかしようとする人たちを止められないのはウェブの住民が、というか、良識を失った市民が、というべきか、が自ら秩序の崩壊を望むからだろう。消費者だけに都合がいい話なんてのは実際には存在しないはずなのに、目先の良さげなところだけが見えると既存の仕組みはそりゃおかしく見えるかもね。

でも、実際にはUberは上手くいっていない(社長の人格に帰する部分はあると思うが、そもそも今起きている自体は想定されるまずい点の全てだからね)し、Airbnbだって公正な人たちを犠牲にして成り立っているようなものだ。誰かが抜け駆けしているからこそ上手くいっているだけで、例えばマンション一棟が全員で競争し始めたら最後は誰も来ないスラムになるだろう。

今メルカリで起きていることはその象徴なんだと思うし、もっと言えば、普通のCtoCを装ったウエルカムトゥザアンダーグラウンドなのかもしれない。

Mastodon、P2P、Webの未来

Mastodonしかり、ブロックチェーンしかり、とにかくウェブの技術は情報伝達の仕組みであり、その情報の「正しさ」の保証の技術である、といってよいかと思う。ここで言う正しさってのは内容の正しさではなく、伝達の正しさね。誰が、何を、という。

この件で言うとやはりWinny(それ以前であればWinMX)の話が出てきてしまって最近は完全に忘れ去られているけど、Napsterの衝撃はその場に居合わせた人はわかると思う。その衝撃は主に「え、影でコソコソやってたことを表に出しちゃっていいんだ」だったけど。そして結局ダメだったけど。そこからWinnyに至るまで、P2Pの最大の問題は、P2Pであることだったよね。P2Pってのはネットワークの技術以前の話として現実のメタファーとしての「友達同士のやり取り」を極大化したものだから、性善説、フェアユースの枠の中でしか機能しない。実際問題、プラットフォームとしてのP2Pが正常に動作しているシステムは、そのメタファーをアプリケーション的には採用していないことがほとんどだろう。つまり、アプリケーションはビジネスモデルが明確化されていて、それに則って「ルールが有る」のだ。

MastodonがP2Pを活発化させる?本当にそうだろうか。Mastodonがこの1週間で明らかにしたのは「ルールがない世界は接続されない」ということではなかっただろうか。オープンなアングラ世界(これも変な言い方だが)がルールの整備によって滅びたあと、世界が選択したのはTorでありSilkloadであり、闇決済手段としてのBitcoinだったのではないか。Mastodonは表のWebのルールを逸脱できない。あるいは、かつてのBBS並にローカライズされた運用になるだろう。そんなもの、本来はGoogleのサークルで良かったのでは?あるいはSlackがすでに実現しているのでは?

Mastodonにはいいところもあるし、うまくハマった用途においては既存のツールを凌駕するかもしれない。でも、それがマジョリティである世界は僕には想像できないし、P2Pってのは最終的にはインフラになって成立するものだから、マジョリティにならない限りは次第に滅びる運命のものだよね。

Webは中央集権的にならざるを得ない仕組みを最初から持っていて、P2Pはあくまでアプリケーションレイヤの自由しか持っていない。Winnyが問題化したときに起きたのはプロトコルの遮断だし、我々が危険を察知したときに行うのはLANケーブルの切断(あるいはWifiのスイッチオフ)だったりもする。Mastodonは今のところ楽しいツールだし、Bitcoinは既存の貨幣経済を破壊していない。箱庭の中の世界だ。

だから、僕はこういった話が何かの自由を再び取り戻すようなツールとして語られることには懐疑的だ。僕たちは、既存の何かによる「支配」から解き放たれることを目指してはいけない。取って代わるという意思を持った時点で、それは単なる新たな支配の始まりへ向かう闘争になるだけだ。Mastodonはルールを守って遊べば干渉されづらいセミクローズド・サークルを量産するだけではないだろうか。それはそれで楽しいことだと思うし、かつてそれを行っていたサービスが滅びたように、時が来れば滅びるだろう。