novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

なんで「スイスもクソ」と言えなかったのか

この話はわりと構造的な問題に帰結してしまう(すなわち、正義なんてどこにもない)話だと思うんだけど、結局のところ明確な「基準」なんてものは作るのが難しいし、そこは価値観の衝突が一番起こるところだし、だから、これは差別だとかいきなり言っても全く意味がないし何が差別に当たるのか、何がセクハラに当たるのかということをみんなの価値観を寄せ集めて落とし所を探す、という作業を省略したら宗教論争になっちゃうんだよね。日本のキャラはNG、スイスはOKなんて完全に思考のアウトソースだし、ましてや絵師のバックグラウンドを問題にするんならなぜスイスの絵師の素性が最初に調べられなかったのか、ということだって大問題なわけだよ。

単純に、基準を作るのめんどくさいから外部の権威を利用しましたwwwっていう話なわけ。

で、別にそれが一貫性を持っているんならなんの問題もない。日本はNG、スイスはOK、なぜなら日本は糞だから、でもいいし、スイスもNG、なぜなら萌え絵は糞だから、でもいい(いいというのは万人への納得が得られるかどうかとは別問題だ)。もちろん、そんな単純な思考では私はこう思う以外の何事も訴えることはできないんだけど。
スイスがクソって言えなかった、日本はNG派の人たちは本当に「基準」を問題にしていたのかな?そこにヘイトはなかったのかな?自分の気に入らないものを批判するのに差別の構図を利用していなかったと言い切れるのかな?スイスはOKって言っている人も本当に「基準」のみを問題にして一貫性を持って話している人は(意見が合うかどうかは別として)議論できる相手だな、とは思うんだけど。

で、この話は突き詰めると「ガイドラインが必要」って話だし、行き着くところは「権威が必要」って話でもある。これが表現の自由に抵触しない話と考えてよいのはあくまでTPOの話だから。TPOの話しなきゃいけないのに差別の話をしだすとまとまらないんだよ。逆に言うと、表現の自由の話だったら徹底的に戦うよ。でもTPOの話だからね。問題を差別の話に拡張した人は表現の自由の敵だよ端的に言って。

あれ、これ、前もおんなじこと書いた気がするぞ…

失言で軽くなる本音というもの

「震災が起きたのが東北でよかった」という言葉を聴いて、少なくともこの部分のみについて様々な理由で共感した人は多かったのではないかと思う。そりゃ当然のこと。で、この言葉が問題になって「本音を言うと失言になるのか」みたいなことを言うじゃない。いやいや、本音を言ったら失言、というのであればもっときちんと全部本音を言いなさいよ、と。

この言葉に共感した人の大半は「とは言え、東北で起きた被害は痛ましいし、日本としても大きな損失であることは間違いないし、僕達も支援したりしなきゃ」というような思いも合わせて持っているはずだ。あるいは、もう少し利己的な人は「自分があんな目に合わなくてよかった」で済んじゃってるかもしれないし、ひどい人だと「しめしめ復興需要で儲けてやろう」とか「年寄りの人口が少しでも減ってよかった」と思っているかもしれない。つまり、本音ってのは失言で示される部分以外に何を考えているかによってぜんぜん違うわけだし、失言ってのはそういうことをきちんと見せないまま表層的な部分だけを「公言する」という「職業:政治家」の人にとっては資格を疑われるような行為、野球で例えるとサヨナラ負けしそうな2アウト満塁同点の状況で敬遠四球を選択するようなものでしょ(意味が通じない喩え)。

本音を言えないことが嫌いなイケハヤだって「政策によって中小企業が倒産して家族が自殺するような事例が少なからず出るのは仕方がないこと」って言って問題になったじゃないですか(違うイケハヤだ)。

ともあれ、本音が言えるってのは昔から清廉潔白で清貧をもっぱらとする人の専任事項だった気もするんだけどね。今の本音が言えないって人の本音ってのはちょっと前だったら「言うのが恥ずかしい」レベルの自己の曝け出しだったりもするよね。特にヘイトのようなものは。

(表層的な)本音を言ってしまうのは結局のところ失言だろうし、本音を全て言いたいってのは社会的存在としては幼稚であるだけだろうし。「言えない」って感じてしまう本音ってのは少なからず「言ってはならない理由」があるし、その理由が正当でない場合に「言わない」を選択しなければならないのであればそれは自分を恥じるしかない(もっとも、言わないが最適なソリューションであることを納得する場合もある)。

メルカリはネットのスラム化を加速するのかな

厳禁出品の件については単純にマネロンでアウトだろという声があってなるほどと思ったんだけど、Suica売るなどあの手この手でカードの現金化をしようとしているところを見ていると、企業と役所の統制が取れないCtoCは地獄にしかならないな、と思ったわけで。そういやP2Pも盛り上がっているんだけど、結局のところビットコインとはなんだったのか(まだ終わってないが)と考えるとこの手の話のもっと強固で適法性の強い実装にすぎない、と思ってしまったりもする。

既存の社会が実現してきた、窮屈かもしれないけど一定の安全弁がある仕組みをぶっ壊したくて仕方のない人がたくさんいる。ホリエモンだって、三木谷だって、正しいことも言っているが間違っていることも言っていて、現行の規制が誰かの利益のためだけにあるようなことを言うときには典型的な「別の権威による置き換え」を感じたものだけど、もっとダイレクトにやったもの勝ち(まだ勝ちきってないけど)でなんとかしようとする人たちを止められないのはウェブの住民が、というか、良識を失った市民が、というべきか、が自ら秩序の崩壊を望むからだろう。消費者だけに都合がいい話なんてのは実際には存在しないはずなのに、目先の良さげなところだけが見えると既存の仕組みはそりゃおかしく見えるかもね。

でも、実際にはUberは上手くいっていない(社長の人格に帰する部分はあると思うが、そもそも今起きている自体は想定されるまずい点の全てだからね)し、Airbnbだって公正な人たちを犠牲にして成り立っているようなものだ。誰かが抜け駆けしているからこそ上手くいっているだけで、例えばマンション一棟が全員で競争し始めたら最後は誰も来ないスラムになるだろう。

今メルカリで起きていることはその象徴なんだと思うし、もっと言えば、普通のCtoCを装ったウエルカムトゥザアンダーグラウンドなのかもしれない。