novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

あと1年以内にプロブロガーの何人かがボーダーラインを踏み越える

予言エントリです。外れても責任は取らない。

いわゆるプロブロガー(本物の「ブロガー」ではない人たち)の最盛期は2014年あたりだと思っているのですが、ここ何年の凋落ぶりはなぜか。

本当に稼いでいる人は筋金入りのアフィリエイターでほとんど炎上商法をせずうまくやっている人たち。
プロブロガーと言いつつただの邪道な信者商売の人たちは、ブロガーとしては2流だけど互助会的な方向で広く集客している人に比べて厳しくなっているように見えます。それが顕著になったのがこの2年、就職せずプロブロガーになった人たちが教祖力弱く信者のレベルも落ち(そもそのこの商売は信者が「俺もプロブロガーになって稼ぐ!ので色々教えて!」というピンポイントな方向性しかないので、「すごいですね!!」の人は金にならんのです)、早々に脱落していったことからもわかります。

そうすると、少ない(寡占状態なので一人頭はそうでもない)信者に次に何を買わせるか、しか生き残る道はない。で、そこでうまく第一信者そうまで儲かれば「再び(以前はいた)」第二信者層が生まれてエコシステムが回るようになります(一般的にはこれをねずみ講と言ったり言わなかったり)。

ところで、いわゆるブロガーとしての活動ではもう儲からないことがわかっているので、いきおい、古典的な「商品」にシフトせざるを得ません。もっとも、情報商材でそれをやっているわけですから、単一マーケットから多角経営にシフトした、ということになります(一般的にこれを自転車操業と言ったり言わなかったり)。

ところで、投信とか、金融商品とかは銀行法とか出資法とかいろんな法律にがんじがらめで「必ず儲かります」なんて当然お縄頂戴な世界に突入(誰かはしかけてたけど)するわけで、そう簡単に手が出せません。

そこでVALUですよ!!!

はい。おわかりですね。

この流れが続くと当然ながら、一線を踏み越える人が出てくることになると思っています。罪状が詐欺なのか、出資法違反なのか、はたまた他のものなのかはわかりませんが、ぶっちゃけそろそろ信者も目を覚ますと思うよ。

一括契約でアジャイルなんてとんでもない?

takigawa401.hatenablog.com

この話のキモは「請負で」じゃなくて「一括で」ということだと思うのだけど、法的な請負契約のことを一括請負と言ったり単に請負と言ったりするだけで区別はないと思うんだけど、客のニュアンスとしては「完成まで全部1つの契約で」ってことだと思うんだよね。

そういう意味では、アジャイルを請負でやる、というだけであればどういう単位で契約するか、何を成果物に契約するか、細切れになって手続きの負荷は妥当な範囲か、あたりの問題をクリアできれば不可能ではないんだけどね。

ただ、本質的に請負とアジャイルというのは親和性がない。なぜなら、請負契約が責任を持つのはアウトプットだけなんだから、やり方に顧客が口をはさむなんてとんでもないわけです。当然途中で成果物の範囲が変わることもありえない。なので、1~2週間毎に毎回成果物を明確にして契約を取り交わす、なんてのが現実ですよ非現実だけど。

元記事にも書かれていることだけど、アジャイルってのはシステム開発における銀の弾丸では全然ない。なんだけど、コンサル野郎が妙に入れ知恵して客にアジャイルを進める。これ、コンサルトしては背任に近いレベルの提案じゃねーのって思ったりもする。で、「アジャイルでやりたいんだけどな。もちろん契約は従来通り一括請負で」みたいな「騙されててかわいそうな客」が発生するわけですね。ここポイントで、顧客側にも騙されてしまう動機がある。システム屋はとにかく融通が効かず、コストも高い。まあそういうものだとみなされているわけです。なので融通がきいてコストも安くなるかもしれない、という言葉は検討しないで捨てることは(会社員としては)できないわけです。やらないにしてもなぜアジャイルじゃダメなのかを上に説明しないとそもそもコンサルを雇っている意味がない。いや意味が無いんだけどそういうクソコンサル雇うなら。

もっとも、会社にとってアジャイルでやること自体は当然ながら悪いことではないんです。スキルと覚悟(リスク)をきっちりわかって正しくやるならね。

いつも高い高いと思っているシステム屋がなぜ高いか。それはリスクをそこに転嫁しているからだ、ということに気づかないといけません。
システム屋側にも事情があって、そりゃエース級集めればもうちょっと柔軟にスケジュールも短くできるけどそれだと会社の事業が回らないじゃんというまあ単にデリバリーの人材不足(会社単体じゃなくて業界のね)の問題があるわけです。業界の単価が上がらないのは逆説的な話だけど人が足りないからなんですよ。普通は人足りないと単価上がるんだけどね。

まあ仮に、アジャイルでやってうまく行った(これはアジャイルが得意な会社=ハイスキル技術者の割合が多いベンチャー的な会社=大規模はできないし、なんだったら自社サービス立ち上げるまでのつなぎでこういう案件受注している会社を使っている可能性がそれなりにある)として、次に起きる問題は「じゃあ次の巨大案件もアジャイルで」みたいな発想が出てくることなんだよね。

これはアジャイルに限った話ではない。某どっかの巨大案件とか、せいぜい3桁人月のシステム開発にしか理想的な使用方法が適用できそうにないツールを全面的に適用して全く役に立たないのに手間だけ増えて4桁人月は犠牲にしたんじゃないかとかそういう話もたくさんある。

正しいアジャイルが浸透してくれるのは、そういう巨大案件を目の当たりにしてきた僕としても良いことだと思う。アジャイルでシステム開発の本質をユーザーが理解してくれれば、巨大案件が抱えている矛盾点(これ、文字通り矛盾を戦わせていることが問題なんだよね)も理解してくれることだろう。アジャイルという「何が問題だったかが見えやすく、反省しやすい」体験現場が「システム開発にとって本当にダメなこと」をお客さんに浸透させてくれるかもしれない。そこまでは期待できないけど。

そういう世界にもしなっていたのであれば、アジャイルで一括契約というあり得なさそうな話にも何がしかの解決策が見出されているのではないか、と思ったりもする。

働くこととは何かについて何回も考える

ここで紹介されている本は読んでみようと思うんだけど、ちょっと気になったのがタイトルね。
luccafort.hatenablog.com

リーダーが管理者でエンジニアが実務者、となっているんだけど、エンジニアって実務者なんだろうかとね。

というか、ITの世界では特にエンジニアというのを「必要なところだけで手を動かすべき人」として語る人が多い気がしているんだけど、僕自身はそうじゃないと思っていて、むしろ、そこで言われるエンジニアの一つの姿(全部ではないよ)は「労働者的クリエイター」なんじゃないかと思っている。これは皮肉もちょっと入っているんだけど、要はエンジニアがなすべきことは何か、と考えたとき、真のエンジニアは「自分ひとりじゃないとできないことしかやらない」なんてことは当然ないわけだし、それが必要な役割であればリーダーもやるだろうし、とにかく「達成したい目標に対して適切なテクニカルスキルで物事を行う」のがエンジニアなんじゃないかなー。

であるならば、「これしかやりたくない」という人はなんなのか。

ということに引っかかってひねり出してみたのが「労働者的クリエイター」なんだけど、真のクリエイターは趣味が講じて仕事になったような人だと思うのでなんとかかんとか(この辺イメージしかまだないが、「これしかしたくない」と「労働者」がくっついている)。

というか、結局のところ、「労働者」でいたい人達は労働者としての働き方をすればいいし、それを求めれば良いと思うし、そうじゃない人にとっての働き方というのも結局のところ、ある程度常識の範囲内に収めるべきだとは思うし、ただ、目的のためならなんでも使う、というエンジニアであれば、会社という存在そのものがツールだと思う(だから、エンジニアが経営のことを知らなくて良い、とか経営目線を持たなくて良い、というのは最終的にはありえないと思っているし、そこで目的が達せられないと思ったら転職するためにもそれは必要なんだよね)。

そういうのが極まった人が技術部部長とかCTOとかになるわけでしょ(これは願望だけど)。