novtanの日常

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Twitterは結局真のSNSではなかった

というか、SNSっていうニーズも実際のところ使い分けられちゃっているよね。Twitterはもはや単なるWeb拡声器だし、LINEは友達同士で連絡取るところから人が広がりすぎて、もうちょっと広い意味での友達同士での連絡ツールになって親密な人は別のツールみたいになっちゃったし(実際のところ、大事な通知を見逃さないためには余計な通知が交じるツールとは分けたほうが良いんだよね)。

で、昨今のBAN問題でしょ。まあWeb拡声器としての役割からすると、リスクがある人達をBANするのは妥当よね。Twitterの自分たちはSNSではありません宣言と見るべきかなーと思うし、一つの役割を終えたツールと考えても良いけど、これからますますWeb拡声器としてご活躍になり、広告収入が減ってどこかで沈没、というところが未来として見えるなあ。

過剰診断の問題がなかなか理解に至らないのは世界観が違うから

一読して、反応も含めて、だけど。

結局のところ、この非常に単純な話が簡単に結論を一致付けることができないのはもはやこれが論じる目的を異にしているくらいしか理由がない。

10000人に1人のリスクを救うために300人死ぬのを許容すべき的なワクチン反対論者(当然彼らは多数が犠牲になる側のことは言わない)と同様に、過剰診断についてもそこで起きるデメリットではなく、ごく限られた範囲の物事を解決することだけが正義であり、それ以外はロジックの正しさではなく、前提の誤りの指摘(という名の特定目的だけにフォーカスした世界観の持ち込み)を行っているだけなので、相互理解は全くできない。

決定的な変数X(本来は定数)の中身を無理やり変えてこっちが正しい、あっちが正しいというのはもはや議論ではないんだけどね。


そういう点も踏まえて考えると、(あえてこう言うけど)こっち側の人間が最も重要視すべきなのもまた世界観の提示なのかもしれない。そして、その世界観は時として全体主義に見えることもあるかもしれない。反ワクチンや産婦人科問題が一定量の問題行動にまでつながってしまうのはいかにも「個を重要視していない」ように見えることが原因の一員だろう。不幸なことにこれは大いなる勘違いで、リスク評価が多面的でないことによって別のリスクを極端に低く見積もってしまっているだけであるのだけれども。

何度も言うけど表現の自由は制限付きである

わかりやすい話としては、公文書を偽造したら捕まった、は表現の自由の侵害だ、とは誰も言わないよね。

いわゆる表現の自由はあくまで(他の法律に触れるという一部の例外を除いて)その表現そのものは政府によって検閲されない、という話だし、結果引き起こす問題についての責任は表現者が負うものだということ。

インターネットのなかった頃のそれの大半は出版社が引き受けるもので、つまり、出版社が実質的に検閲している(言葉狩り、なんてのは特にそうだよね)わけだけど、それは結果として起こる事象が経営の問題になるからであって、それを無視してアレする写真週刊誌があったりとかいうのがまあ闘争みたいなものだよね。とにかく、個人の影響力が少なかったからこそメディアや作家の影響力が相対的に大きく、大抵はモラルによって統制されていたけどたまに突拍子もない事が起きる、という世界。で、インモラルな出版社や一部の人達がクソみたいなウソ本を量産しているわけだ。

インターネットによって個人の発信力が強まるとそういった統制って当然されなくなるから「表現の自由」について正義の御旗みたいな扱いがなされちゃったりするけど、そこにも結果の責任は残る。ヘイトスピーチしたら会社クビになりました、というがその因果関係を端的に示しているやつだよね。

インターネットにかぎらず、メディアがウソを発信することに対するペナルティーが少なすぎるってのが現在の問題なんだよね。ただ、そこを単に強めてしまう(特に政府が関与する)と実質検閲に近い形に制限されてくるという問題もあるから、慎重に考えることが大事だし、結局のところ受け手のリテラシーを高めることをしないと社会としては進化しないんだけどね(啓蒙を思い上がりの言葉だと言っているような話って停滞感あるよね)。