novtanの日常

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国道沿い文化って食い物ですか?

うちの田舎も中国地方の片田舎の国道沿いである。といっても、300番代の国道ってのは東京だったらこれ私道?って入るのを躊躇するレベルのものだったりした。さすがに21世紀になって、酷道は減ってきているとはいえね。
スタバ?なにそれ食い物?セブン銀行チョー便利。巨大なイオン?150km先にあった気がしなくもない。

かろうじて、携帯の電波だけはちゃんと入る。一昔前はFOMAが圏外だった。

でもさ、光回線なにそれ食い物?という地方(いっとき村中に張り巡らされている有線電話をADSLで…みたいな話が盛り上がってたよね、確か)において、デジタルデバイドから一気に脱するポイントとして携帯の電波は大きかったようにも思う。

インターネットは都市部と地方の格差を縮めたか - グダちゃん日報
国道沿いでも、若い人はネットをちゃんと使いこなしてますよ - シロクマの屑籠
地方論の反応に対する反応みたいなもの - グダちゃん日報
ああもう、イライラするな、どうして国道沿いは2000年で時が止まったような書き方するんだ - シロクマの屑籠

僕もちょっと前に書いたさね。

インターネットが都会と地方の格差を鮮明にする - novtan別館

「地方」「国道沿い」ってキーワード、正直大きすぎて一般論が語れないんじゃないかと。

せっかくなんでもっと風呂敷を広げると、「先進国」と「発展途上国」の間でもこの手の「物はないけど情報はある」という状態になりつつあるよね。そして、人間の娯楽の結構な部分を情報(ゲームや音楽や映像も含めてね)が占めているという現在においてはそれはものすごい「距離」の短縮なわけですな。

一方で、何時まで経っても(採算が見込めないんだと思うけど)巨大なイオンはうちの田舎には来ない。地味目のスーパーに地味目のチェーン店。コンビニはようやく全国区だけどスタバはない的。これは格差といって良い。

満たされる格差と満たされない格差は依然として有り、ただ、人の動線が地方においてもそれなりに単純化した結果として、それなりの箇所にそれなりの施設が建つようになった(つまり、県庁所在地にいかなければなかったものが山中の中核ゾーンにもできた的な)ってだけなんじゃないかと思う。これは格差が埋まったと言うわけではないよね。

つまりさ、インターネット上で暮らす上では地方と都市の格差はもはやほぼ無い。携帯の電波があることでそれは満たされているといっていい(なぜって都市でも携帯でしかネットにつながってない人がかなり多いもんね)。一方で、そこから入ってくる情報のうち、単に物欲ではない欲を伴うもの(巨大なイオンを堪能、とかオフ会がどうとか)については依然として物理的な障壁は有り、むしろ情報として今まで入って来なかったものが見えるようになって心理上の格差は広がった、といえるんじゃないか。

ご当地ほにゃららはそういう格差を埋める逆転の秘策なのかもしれないけどね。なにしろ、ここに来ないと体験できない何か。自分たちはいつでも体験できる。「え、そんなんこっちじゃ普通だよ、普通普通ww」という呪文を唱えれば、フィジカルデバイドから開放される(気がする)。
B級グルメだご当地名物だというのは実際に人を呼び込むことに繋がらなかったとしても、その地方にとって必要な物なのかもしれないな。

なので、国道文化とは食い物なのである。間違った結論が出た所でこの項終わり。