例えば、「本当のことを言って不都合でも?」というのは世の中を牛耳っている人に対して懐疑的な思いを持っている人にはわりかし訴求力のあるキャッチフレーズだとは思う。
「不都合な真実」が隠されていると思っている人に「これが真実」と提示すると「さもありなん」と思ってしまうわけですな。
でもね、「嘘を暴く」というのと「本当のことを言う」というのはぜんぜん違うんだよね。
嘘をついている人を嘘つきと糾弾した人の言うことだから本当だ、なんてことは成立しないということね。つまり、悪を糾弾しているからその人は正しいことを言っている、とちょっとでも思ってしまった人は色々と騙されている可能性あるわけです。
もちろん、言っている人は「正しいと思っている」んで、そいつが悪だ、ということでもない。糾弾していること自体は正しいかもしれない。それとは切り離して、その主張が正しいかどうかを判断しなければならないんだよね。でもそれは難しい。
だから、「悪を糾弾する正義」というイメージは危険だ。悪を糾弾することがその他の主張の正しさをも担保しているかのような錯覚を抱かせてしまう。
それはそれ、これはこれ、という評価をすることが大事なんだろうな、と思う。