この話に限らず、犯罪が起きるとどうしても「属性」のレッテルを貼りたがる心理というのはあります。
知的障害者が犯罪をした? → 中にはそりゃいるよ - Togetterまとめ
なんでこうなるのか。大体は「わからないままでいたい」から何じゃないかと思うんですよね。
もっと嫌らしい言い方をすると「俺は(俺の周りの人は)こうじゃない」として安心したい。
よくわかんねーけどあいつらまとめてクズって思っておけば簡単なんですよ。何にも解決していないことには変わりないけど、人は安全より安心を求めるってよく言いますよね。それ。
だから、理解を求めるということが最初からハードルになっているんですよね。理解してしまうと「我慢しなければならない」「怯えていなければならない」などの事象が発生すると思っているから。
そして、実際に事が起きない限りはそのほうが心理的な負担という意味でコストが低いんですよね。
ということは、結局モラル的な部分に依存するしかない問題ではあります。福祉を理解しないことは恥ずかしいことだという価値観が強く社会を支配するくらいじゃないと根本的な解決には至らないでしょう。表現の自由、内心の自由、差別の問題、いろいろなところで同じ問題は起こっています。
悪い意味での「個人の気持ちを尊重する社会」が出来上がりつつあるところではこういった話は特に否定されがちかもしれません。ちょっとアレな話かもしれませんけど、こういう価値観を転換していく「庶民が憧れるような上流階級」ってのが絶滅するとかえって社会は後退するのかもしれません。
教育がこの手の問題に勝利するのはいつになるんでしょうかね。