作られた物語の呪いは解け、本当の物語が語られ始めたというべきなのかもしれません。
現代音楽における不協和音やノイズの氾濫とは異なる、重厚で劇的な構成と、旋律に溢れた交響曲を聴きたい、演奏したいという欲望は、音楽関係者のなかではそれほど珍しいものではなかった。そしてその欲望はある程度まで、正当化しうるものだった。
聴くことの困難をめぐって - ゲンロンスタッフブログ
クラシック業界にある問題のひとつとして、能力のある作曲家は(多くの)演奏家が演奏したくなるような曲、聴衆が聴きたいような曲を書こうとしない、というのがある。
~中略~
往年のクラシック作品みたいに聴いていて素直に心の動くような書法の音楽は、たとえば映画やアニメ、ゲームのBGMとして「発注」されない限り、なかなか生まれない。新垣氏のような作曲技術に長けた人が自発的にあのようなタイプの作品を書くことは不可能だった。
森下唯オフィシャルサイト » より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守(新垣隆)騒動について~
~中略~
しかし、発注書があれば話は別だ。なぜそんな制約を課すのかって? そういう発注だからだ! わかりやすい。書法のことを置いておいても、現代社会において80分の大交響曲が生まれるというのはまずありえない。交響曲に必要とされる精緻なスコアを書くための知性と、交響曲を書こうという誇大妄想的な動機がひとりの人間に同居するというのは相当に考え難い状態だからだ。
友人の作曲家がまさに自らに課している制約は新しいものを生み出すことであると言っているのを普段耳にしているからなおのこと、ここで言われている背景というのは納得感がある。
つまり、偽りの物語があろうがなかろうが、あれは売れるべき要素を含んでいたということであるし、商品としての評価はできるが芸術作品としての評価は既存のものの焼き直し以上ではないということも意味している。
間違えてはいけないのは、既存のものの焼き直しというのは特にエンターテイメントとしての音楽においては価値の高いものになりうる、ということだろう。そして、そのこと自身が芸術家としての作曲家を縛り、時として苦しめている。
Naxosが企画した「交響戦艦ショスタコーヴィチ ~ ヒーロー風クラシック名曲集」を例に上げるまでもなく、芸術作品としてのクラシック音楽は決して難渋でなければならないものではない。
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ベルリオーズやワーグナーなんて中二病作曲家と言われても不思議ではない(なんていうと怒られそうだが)。
ただ、すでに先人が埋め尽くした枠で活動し続ける限り、「ポピュラー音楽」としてのクラシックとならざるを得ない。芸術家とは因果な商売なのではある。過去の傑作に「比肩する」曲というのがエンタメ以外の価値を持ち得ないというのは受け手側の大衆からすると意味のないことであるけれども。
メディアを舞台にして、多くの善意の人によって「神話」が拡散されていったプロセスこそが、もっとも検証されなければならないものだと思う。
彼はなぜゴーストライターを続けたのか~佐村河内氏の曲を書いていた新垣隆氏の記者会見を聴いて考える(江川 紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース
というのは少々外野に過ぎる話だろう。もはやこの件はその作品評によって十分に解体されてしまった。