タイトルは言い過ぎかもしれないけど…
まあ例えばこんな共感エントリがあるわけ→イケダハヤトを叩いて溜飲を下げる東京の貧乏人たち - 拝徳
ここで言われている言葉の幾つかがそれを端的に表しているように見えるじゃない。
- 単なる生活拠点を変更するだけでなく、あえて身を持って東京至上主義に一石を投じるあたり、氏の哲学を感じる。
- まさに、ネット住人のマジョリティを占める東京民にとっては、この国に蔓延する東京至上主義にツバを吐きかける暴虐行為にも映る所業である。
- 結局、東京とは突き詰めれば未だ「リタイア」できない人たちが集まる貧乏人の街なのである。
- もう一度書くけれど、ビジネスに関わるもののすべてのゴールは、リタイア、である。
モノは言い様ってこういうのだよね。実際のところ、これはイケダハヤト師のエッセンスをよく抽出しているんじゃないかな。視点も含めて。
僕達が彼にイラッとするのは、彼のポジティブを装ったネガティブさで、それがために彼は他者の考え方を否定することでしか自分の考え方を正当化できないんじゃないかって思ってしまうんですよね。
「僕は」東京では消耗する、と言うことを肯定的に捉えるためには全ての人間は東京で消耗しなければならない、っていう思考方法は不幸な方法だよ。会社を辞めたりした話だって別に逃げ出したっていいじゃないっていう話に過ぎないのになぜか会社員ヘイトになるわけじゃないですか。そうじゃないんだよ。いろんな考え方、いろんな生き方、いろんな哲学があって、それはみんな自分の中に相応の根拠を持っている。他人を否定しないと肯定できないことなんてニセモノだよね。