novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

「区別がつかないから」を理由にすることの危険性について

社会というのはそう単純なものではなく、人が自由であることと社会秩序があることが相容れない場合、どちらを優先すべきかというのは思想によっても立場によっても違う答えが出てくる問に未だなっているのですよね。

【成人男性による女装写真は児童ポルノなのか?】 - Togetterまとめ

これが「これは児童ポルノ規制の致命的な問題を表している」と捉えるのは一面的な話であって、目的のためなら多少の制約は仕方がないと考える向きにとってはむしろ児童ポルノを撲滅するためには紛らわしい物はすべてNGとしなければ実効力がないと判断するための根拠になってしまいます。

表現の自由こそがもっとも守るべき民主主義の根幹であるというのを建前ですら守る必要がないという人が為政者側にいるというのは日本の民度の問題と考えるべきなのかもしれません。しかし、社会って建前だけで動いているわけじゃないからね。さしあたっては諸外国からの突上げをどうにかせねばならぬ…

日本人女子が成人でも外人からロリに見える問題とか考えちゃうと、うちはうち、よそはよそ、とかんがえる問題なのかもしれませんけどね、ことエロと人権の問題となると原則を貫くのも世間体が悪い的な話になりがちです。

もうね、表現の自由を盾に取れば明らかに規制のほうが分が悪いんですけどね、それを持ち出すってのはじゃあ本物の児童ポルノと区別がつかないのをどうすればよいのかの答えを誰が提出すべきかって問題になってしまいますよね。もちろん、それを為政者の仕事だろっていうのは簡単なんですけど、表現の自由を守ることはこちら側でも努力すべき問題であるという風に考えていかないと、原則を守るためには犯罪を野放しにするのは仕方がない、と言っているようにも聴こえてしまいます。

お上なんてのは形だけ見えなくなれば後は地下に潜って勝手にやって(たまに摘発するから)ってなっちゃうだけかもしれないけどね。

原則を守るために「原則!原則!」って叫ぶことはもちろん大事なんだけどね。現実的にはそれだけだと「俺は闘争した!規制はされたが政府が狂ってる!日本は終わりだ!」ってなるだけかもしれないのが難しい。結局のところ、僕らが生きているのは「社会」だし、原則よりも現実だよねって人が一定数いるのはしかたがないので、それを増やさない(できれば減らす)ための戦いをしなければならないんですよね。そしてそれは「原則!原則!」って叫ぶだけでは達成できないと思っています。しんどい話だけどね。