novtanの日常

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平和憲法ってノーベル賞もらえないとなんか困るの?

勝手に有力候補だと騒いでもらえなかったことにいちゃもんつけた挙句もらった人に文句まで言うというフルセットな感じな人までいますけどね、そもそももらえなかったらおかしいというような賞だとしたらそんな賞に価値を置くほうが間違いであってあっちからもこっちからも矛盾しているようにしか見えないんですけどね。

憲法という国にとってもっとも重要な基盤の一つで平和憲法と言われる事項を定めていることを僕は素晴らしいと思うけれども、結局のところ、「憲法に何が書いてあるか」ではなくて、国民が国のあり方をどう考えているかこそが重要だよね。結果的に「憲法を変えよう」という意見が大多数になればそれを止めることは容易ではない。

ノーベル賞が欲しかった人は、その改憲抑止力を外部に求めたんだろう。でもそんなことによって改憲が抑止されると考えているのであれば少々自己中心的にすぎるんじゃないかと思う。往々にして「アメリカの犬」と蔑視されることのある日本ではあるけれども、そうやって蔑まれることによって醸成された「独立しなければならない」という気分こそが日本に軍隊を取り戻そうとする一つのきっかけなんだろうと思ってしまうんだよね。

日本に限らず、世界はいつだって変容していて、「戦後」という日本が一貫しているかというとそんなこともないよね。一つの憲法のもとで存続しているだけであって。

日本を好きだ、という自分の気持ちを考える。どこが好きなのかと問われると非常に選択的な答えになるんだろう。つまり、僕は日本という国そのものを心の底から愛しているかという問いにはNOと答える。悪いところは変えるしかない。でもそれは僕が思っている悪いところであって、全員がそう思っているわけではないだろうね。でもそのために真面目になるためには、やっぱり少なからず「日本が好きだ」という気持ちがないと始まらないと思うんだよなあ。

僕は極右と言われる人たちが何故「右」なのかイマイチわかんないんだけど、ともあれ何が間違っちゃっているかというと結局、国のありようというのが利己的な理由によって決定されすぎちゃっているんじゃないかという部分。そりゃ国という形態はそれによってなにがしかの利益を得るために存在するわけではあるけど。

同様に、個人を尊重しすぎて国のありようが形にならないようなことを主張する人たちも僕は何のためにそんな主張をしているかわからないことがある。

ノーベル賞をもらえないことで何かに憎しみを感じてしまうようなのは、人の心の有り様としてそれほど不思議なことではないんだよね。何かを守るために何かを争わなくてはならないということも。平和憲法によって人々は穏やかな人格を持てるようになるわけでもない。たとえノーベル賞を受賞したところでそれは別の意味で憎しみを生むだけなんじゃないかというのは受賞した人への声明を見ればわかる。

憎しみ以外の力によって戦うことが出来ないのであれば、今の社会の流れはとめづらいと思うんだよね。