novtanの日常

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デバイスと、感性と

先日、2年近く前の面白い記事がお気に入りに発掘されてた。

文章書きはプログラマーの想像力に縛られている:Word Piece >>by Tak.:So-netブログ

ふむふむ、と思いながら読んでたんだけど、そもそも僕達のコミュニケーションにおいて「文章」というのは手段にすぎないとも思ったりするんだよね。言語というのは言葉だけではないし、だからこそ映像表現や音楽が成立しうるわけだし。かつて「楽譜」を発明されてからずっとそれに縛られていた集団音楽はコンピューターを得て集団である必要すらなくなったりね。
そういう意味では、人間の表現能力を縛っているのは結局デバイスであり、デバイスの進化を縛っているのは想像力だったりもするのだろう。個人的には文章におけるメタ情報の可視化の進化がこれからどうなっていくかなんかは気になる。漢字のルビに横文字みたいなのはよくあるけど、逆って面白いんじゃなかろうか、とか、行間が可視化されるとかね。

といろいろ思ってたところで昨日のシロクマ先生。

だとしても、学齢期~思春期に(ガラケーや)スマホばかりいじってきた世代が三十代四十代と年を取っていけば、“スマホ越しに培われた習慣”や“嗜好のテンプレート”は近未来のサブカルチャーにフィードバックされていくとは思うんですよ。逆の視点で考えるなら、今現在の学齢期~思春期にリーチできていないサブカルチャーやメディアの感性は、近未来の文化生態系には反映されにくい、と予測されます。

きっと、スマホ的感性の時代がやって来る - シロクマの屑籠

これ読んでたら昔書いたことを思い出した。
ケータイ世代の視野の狭さ - novtan別館
我ながらいい線ついてたんじゃないかと思うんだけど、スマホの現状はさすがに想定外だったな。
メタ表現なんてものは制約から生まれるものじゃないかと思っていたりもするので、なんでもできるツールというのはかえって表現の発展を阻害するんじゃないか。でも、スマホネイティブの感性にとってスマホは「あれもこれも出来ない」ツールになっていくんだろうし、そこで僕達旧世代の想像もつかない表現が生まれてくるんだろうし、その後「スマホ世代ってwww」って言われていくんだろうな、と思うとなんだか楽しい。