novtanの日常

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社会の正義を語る時の極々一般的な注意点

この話さ、どっちが悪いとかそういうわけじゃないのにそういう話になっている事自体が気持ち悪くて、先生よりも、小学生よりも、周囲の大人の視点があまりに偏っているのが怖いんだよね。

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社会が悪い日本が悪い原発が悪いという話にしたってどの程度の話だったかわからないから評価できないんだけど、根本的な問題はやっぱり「良い悪い」という価値観の元で何かを話したらどうしたって対立する概念が出てきてしまうので教育としてはきっぱりとした正邪を語ることは難しいってだけなんだよね。なので、この教師自体は仮に「悪い悪い」連呼しているのであればよろしくない。
で、小学生だってそりゃ気分良くないよ親が電力会社で働いているならば。これはミクロの正義としては絶対的に正しく否定出来ない。悪い企業に勤めている人はみな悪人でありその子もまた悪人であるなんてことを言えるのでなければね。

こんなのは右翼だ左翼だなんて対立軸の遥か遠いところですれ違っているだけであって、小学生すげーなーじゃなくて言いたいこと言っただけだなーって思うわけ。別に社会の何が正しいかとか社会の中で何が妥協しているかを理解していったんじゃなくて、単に「うちのお父さんは頑張ってるいいお父さん。否定するなら報復してもらう」って言っただけなんだよね。実に子供らしいじゃない(勝ち気なだけだよね)。

もちろん、これは議論が成立しない、単に前提が噛み合っていないだけのやり取り。でも、これが正義だみたいな話をするときって往々にしてこのレベル(すなわち、議論としては最低レベル)のやり取りが始まってしまうことは大人同士でもよくあること。なぜかって言うと前提の共有が出来ていない話だから。前提の共有ができないのであれば、その前提の中身こそがまず議論の対象であるべきなんだけど、実際には前提の共有ができないまま別の特定の問題について議論しようとしてお話にならない。
これは僕もずっとやってきた間違った議論の方法ではあるし、よく陥りがちな話だし、結果として、前提を共有している観客に伝われば目的達成ってなってしまうことも多い(特にウェブについては議論の当事者そのものが真の意見の伝達相手ではないことも多いからね)。