novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

匿名ブログに書かれる「不幸な事実」をどこまで真実と捉えて行動すべきか

あえてリンクなどしません。

もとより僕のブログなんてネタですとしか書いていないものですが、それでも「自殺します」とか「人を殺してしまいました」とかいうエントリを書いたらきっと僕をリアルで知っている誰かが何かをするだろうとは思っています。が、これは僕自身が完全に匿名のプレイヤーではないからという事実に拠るものだと思っています。

じゃあ、誰ともわからない人のブログに書かれている「良くない」ことが日常日記風小説だったり、妄想だったり、事実だったりすることについて観客たる我々はどう捉えて何をすべきか。そこに書かれていることは現実には出来ない事による息抜きかもしれないし、現実に起こっていることを吐き出す場かも知れない。
これは表現規制とかの話にも繋がるのかもしれないけど、文脈が担保する架空性がないものについては「事実かもしれない」以上の判断はできないし、別に架空性にしても文脈が本当に担保しているのかというとそんなことはない(ことは商業メディアにおける私小説のプライバシー侵害問題を見ても明らかではある)。
そうすると、書き手が何を求めているのか。救いなのか、それとも発散なのか、その区別を出来無い以上、何かするという決断に対してはのべつ幕なしに行わなければならないということになってしまいかねません。
「とりあえず通報して虐待されている子供はいなかったってことになればそれはそれでよいじゃん」と思うかもしれないけど、往々にして通報先は人的リソースが潤沢ではないためオオカミ少年的事例が続けば通報あたりの重みは限りなく軽くなっていく可能性もあります。

結局のところ、揺るぎない真実性が担保されない場合を除いて、リアルの繋がりに任せるしかないのではないかと思ったりします。あるいはせいぜい然るべき機関に通報しつつも、事案として取り上げられるかについてはそちら側の判断に任せるか、というところでしょう。

直接的な働きかけをするのであれば、フィクショナルな存在から実在性のある存在に昇格させるための活動をしないと難しいと思うし、ウェブで見ただけという繋がりと言うのはそのくらい人と人との繋がりとは別のものなんだと思うんですよね。