novtanの日常

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練馬区民から見た大江戸線の歴史と思い出

昨日の超いいかげんなエントリが議論を読んでしまったので色んな意味で申し訳ないです。
ブコメでもいくつか言及されていましたが、勝どきも凄いみたいね。僕の言っていたのは練馬付近でのお話。

そもそも、僕自身は超殺人的な埼京線通勤時代、途中駅で「降りる人のためにドア付近の方は一度降り」たら自分が乗れなかったみたいな経験を何度もしているくらいには乗車率200%(適当)経験者なのです。ただ、大江戸線は昔は空いてたなーという経験から今の状況に至ってこれ不味いんじゃない特に何年か後みたいな話を愚痴っぽく言いたかっただけなんです。

本題。

練馬といえばタクシーには「不毛地帯」「高速使えない」と虐げられ、鉄道ファンには「23区内なのにJRないとかwww」と嘲笑われと事交通に関してはあんまり便利さがないような評価を受けますが、こと西武線沿線に住んでいる人にとってはかなりの住みやすさなところでは有りました(匿名希望の在住40年の某氏いわく)。

ところで、練馬の中でもかなりの勢力を誇る「光が丘」住民は交通面ではバスに頼るしかほかなく不便な生活を強いられていましたが、2000年も間近になったあたりでようやく「都営12号線」なる地下鉄が練馬~光が丘間で開通して練馬も都会になったものだなあと当時中村橋から練馬に引っ越し済みの僕としては思ったのでした。当時はまだ西武線と目白通りの上下が逆でした。

その練馬ローカル線も新宿まで延伸し、環状部も開業し、「ゆめもぐら」になりそうだった愛称(これはこれでどうかと思うが)が知事の一声で大江戸線に変わって練馬の走ってる部分って江戸じゃなくじゃね?もう切断かよみたいな怨嗟(大げさ)の声があがったり色々有りましたが、いずれにしても「深い」「深すぎる」「尋常じゃなく深い」「深すぎて怖い」という大江戸線が東京の交通の主役の座に躍り出るにはしばし時間がかかったというわけです(え?まだ主役じゃない?)。

実際、練馬周辺から乗る人にとっては競合する地下鉄などないので深さもたかが知れててまあってところなんだけどね。あと六本木はホームが2階建てで帰りに乗り換える分にはそこまで深くなかったりして。

費用節約のための車両を小さくするという努力は騒音のうるささと、混雑時に「椅子、人、人、椅子」になってしまう横幅(普通の電車は「椅子、人、人、人、椅子」)がために真ん中に移動するのが大変というハンデを持ってしまったそんな大江戸線も年々人が増え、狭いがゆえの不安定さが相乗効果で辛くなり始めたわけです。
そして、残された不毛の地、大泉学園町に向かって延伸する計画が実現するともう無理って話になりそうですよね。

ところで、大江戸線、年々縮小しているものの、まだ赤字なんだね。昼間人いねーからな…とはいえ、減価償却費を除くと黒字って所まで来ているのでそのうち黒字になって設備投資頑張ってくれないかな。