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novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

「繊細で敏感な自分自身」を書くにはリスクが有るよね

ウェブの荒波ですり潰されないだけの文章を書くには覚悟も力も必要だよね、というお話。
ちょっと長く引用する。

だけれども、自分自身の、繊細で、敏感な部分(そしてそれは誰のお話でも面白い、そこにはその人の人生のすべてがあるからだ)を公開するということには、ものすごい覚悟がいる時代になってしまった。人生の、綺麗な思い出として残っている海水浴場の話や、雪の中で、迷子になった話、祖父が死んだ話。死んだ友人との最後の会話。そのような、その人の人生にとってのくさびになるような出来事。それはその人しかかけない、その人だけの、とても面白い価値のある話なのだけれども、インターネットのブログで更新した途端、みんなからよってたかって言及され、間違いを正され、非難され、ありふれた物語に落としこまれ、すりつぶされる。
そして、そんなリスクや苦痛を、ブログ更新者に求めるのは(求めざるを得ないのだけれども)あまりにも、不公平だと思うのだ。それを書く人のコストが大きすぎる。

最近気になるブログ - マイルドヤンキーにさよならを

僕自身はわりとそういう「繊細で敏感な」部分を抑制的にしているつもりではある。正直なところ、僕自身語るべきではないことを語ってしまったこともある。駄エントリの山の中に紛れ込んでいるそういったエントリはでも燃え上がるようなものではない。そして、仮に盛り上がったとしてもその自分自身にしかわからない部分についてとやかく言われたところでなんの通用もない。ただ、周りを巻き込むかもしれないことへのリスクだけは考えるけれども。そんな風に思いながら書いたとしてもそれは「ありふれた物語」でしかないことが大半だ。私小説だってそうだろう?
実のところ、「自分自身」として書くべきなのはそういった繊細で敏感な部分とは限らない。僕自身、(僕という個が思うところの)論理的で客観的な物事についての視点を提示するのでも十分「自分自身」であると思っていて、そこに量産型ブログとの差異は明確にあると自認はしている。
なにも、量産型ブログを脱却するのに大層な覚悟がいるわけではない。必要なのは物事を発信することについてのプライドとそれに見合った最低限の個性。自分自身と向き合う必要こそあれ、自分自身をすべて開陳することなどないんだよね。
でも、それが量産型ブログより価値のあるものを書けることには繋がらない。ブロガーとしては結局どのような文章を書けるかに帰結せざるを得ず、量産型ブログの寿命が短いのはそこに向き合えてないからってことはあるんじゃないか。