novtanの日常

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「信じがたい保身」とは

今日の天声人語で例の児童虐待の母親がDVから逃れるため、娘が虐待されていることを止めなかったことを「信じがたい保身」と評していた。まあこれは児童相談所や役所もおんなじことしてたんじゃないの、という問いかけなんだけど、それにしても「信じがたい」である、と。これがこの問題の本質なんだろうなと思う。自分自身が暴力から逃れるために娘を見捨てた、と言いたいのだろうけれども、そういう「自分を犠牲にして頑張らなければならない」という価値観を一生懸命否定してきたのがこの平成という世の中ではなかったのか。

お役所だってそうだよ。脅迫をされても身を捨てて行動したら訳知り顔した者たちが「正規の手続きがー」「親の権利がー」と言い続けてきたのが平成の世の中ではなかったのか。背景を知りもせず、全て目の前の行為だけが純粋に評価される。教師はちょっと子供を張っただけでもアウトだし、親はちょっとでも目を離して子供が危険な目にあったら虐待である。リソースが潤沢になり始めた頃にようやく成立した価値観はリソースの減少とともに現実味を失っていっている。経済が上向いているだか下向いているだかそういう評価はさておき、日本社会が斜陽を迎えているという理由はそこにあると言っても良いよね。

人々が保身をしない社会、というのは善行がきっちり報われる社会である。これはとても難しいし、ある意味リベラルの嫌うところの「道徳」が蔓延している社会であるとも言える。あるいは、価値観がある程度制限されている社会と言えるかもしれない。尊厳と名誉を価値観の最上位に起き、それ以外のことは(自らの命ですら)些末なことである、という社会が成立したとき初めてこのような事件において「信じがたい保身」という評価がなされるべきでないかなあ。少なくとも、僕はそういう社会を望んでいるわけでもない。が、ちょっと今は自己犠牲が報われすぎない社会になっているとは思うけど。