novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

当事者にとっては0か1しかない、から脱却するのは難しい

この手の言論は非常に不誠実だとは思っていて、例えば10000分の1で当たるくじを引く人(なお外れたら大きなペナルティを負う)に対して「世の中には2タイプの人間しかいない。くじが当たるやつと当たらないやつだ」と言ってくじを引くことを推奨するのはクソ野郎だよね。
これを逆さまにして、10000分の1で当たってしまうくじ(当たったら大きなペナルティーを負う)を引こうとしている人に「万が一当たったらまずいんだから引かないほうがいいよ」というのは一見誠実な言動に見えるんだけど、仮に外れを引いたは別のくじを引かなくてはならなくて、そのくじの当たり確率は20分の1です、なお、前のくじを引かない人が増えると当たり確率は増大して3分の1くらいになります、ということを説明していないんだとしたらこれもクソ野郎なわけじゃないですか。この「万が一」を0か1のリスクと見做してこの部分しか見せないまま衝撃的な事実として不安を煽るというのがクソ野郎のやり口なわけじゃないですか。
このような言説に乗っかっちゃう人はもちろん愚かしいんだけど、情報の非対称性と不安という2大判断力奪取装置を使って煽るわけですから、0か1かって思い込んじゃう人たちを手放しで非難することは難しいわけで、ここは煽っているクソを徹底的にやっつけるか、実際の被害が出るまで生還するか、のどちらかしかないんですよね。もちろん、当事者の人たちは緩やかに説得する必要はある。後続のリスクの恐ろしさのほうが勝ることが納得できれば、ですね。

でも、この後続のリスクがこのようにわかりやすいってことはほぼないわけです。だから俄に最初のリスクを知ってしまった人は後続のリスクを冷静に評価することは難しい。何しろ、最初のリスクに不運にも当たってしまった当事者が「ヤメロ!!」って警告するわけですよ。これは怖いよね。
ちなみに、ここでの例は過度にわかりやすい話であって、実際のリスクってのはこんなにわかり易くないし、こんなに差が出ない(相対的なリスクさが小さい)場合も多いし、リスクを侵して得るリターンがわかりにくいってこともある。リスクとリターンが見合っているか、についてはっきりとした結論が出ていない分野も多々あるし、そういうところでリスクを侵す危険性を言い立てて他の相対的に相当小さいリスクについても同じ問題がある、とか言い出す人は信頼に足らないんだけど、そうである、ということを見抜くことも大変なんですよね。

ということまで考えていくと、公衆衛生において最も必要な心理コントロールは「不運にも万が一に当たってしまった人」に対してのものなんだろうな、と思うわけですね。これは難しいよね。

身もふたもない話をすると、「私が死んでも代わりがいるから」な時代であれば諦めがつくリスクだったかもしれないものが、少子化の時代において受け入れたくないリスクに昇格していて、冷静な判断ができなくなっている「時代」と捉えることもできる。この手の話は本来社会学者が分析すべき領域だと思うのだけど、なぜかニセ医療や間違ったリスクの流布にせいを出す人がいるって事実自体が僕にはおかしな話に思えるんですけどね。

こういうことを言うとまた上から啓蒙だ傲慢だみたいなことを言う人も現れるんだけど、そもそもリスクを評価する、ってのはものすごい時間もお金も思考回路の消費もいることだけど、それを頑張って専門家の人たちがやっているわけで。だからそれに反対するということが如何に大変なことであるかを理解しないまま、ただ怖いってだけで反対している人たちを正しく導くには上から行くしかないわけですよ(気持ちには寄り添うとしてもよ?)。

正直なところ、手間を考えるとバカになって行政に従うのが一番低コスト低リスクになる、というのがあるんだけど、一方で公害病とか、薬害エイズとかで行政も相当やらかしているので無条件に信頼する訳にはいかないよね。誰が信頼でき、誰が誠実であるか、を見抜くのは非常に難しい。往々にして一番親切で信頼感のある存在は詐欺師なのですから。