novtanの日常

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高邁な思想と稚拙な反論

世の中難しい、というか、社会のステージってまだまだ、というか、そういう話ですが。

そもそも命とはなにか、魂は存在するのか、というような根源的な問題を解き明かせていない人類が「人としてどうあるべきか」に答えを出すことは非常に困難なことではあります。どうせ答えが出ないんだから考える必要ないよね、という人と、生きる中で答えを見つけていきたい、という人の間は大変断絶しているようですが、結局の所、生きるという行為そのものにおいてそのことを考える必要自体はないわけですな。いや、必要だよね、とぼくは思うけど、色んな人がいるというわけです。

そういった前提が噛み合っていない人が混在しているのが社会というものだと考えると、高邁な思想が受け入れられるかどうかなんて自明ですよね、と思わなくもないのです。「なんで俺がそんなの考えなきゃならないの」というのは今まで先人が積み上げてきてこうなった世の中に対してあまりに無自覚な言葉ではありますが、ある意味トートロジー的に成立させざるを得ないロジックではあります。「お前らみたいなゴミには人権はないぜ」という悪人がいたとしても「悪人に人権はない」というわけにはいかないのですよね。過渡期の問題としてこの手の話には社会的な制約を作っていくしか無いとしても。ところで、この世に悪がなくなるとしたら、思想が一つなくなるのと同義ではないか、というような問にどう答えるべきかはちょっと悩ましい。

「圧倒的に正しい俺の思想に従え、従わないものは皆殺しだ」というと単純化しすぎではありますが、多かれ少なかれ、正しさを主張するということはそういうことではあって、真の自由や真の多様性など存在せず、ある程度枠にはめた正しさを適用していきましょう、というのが文明の限界だとは思うんですよね。

だから、高邁な思想には稚拙な反論が十分に反論として成立しうるんですよ。価値観が同じ地平を目指していない限り、単なる価値観の対立でしか無いし、どちらがより高邁であるかなど現実の問題の前には無力なことがほとんどなわけです。価値観の共有をじわじわやっていくしかないわけですよね。

ウェブの時代になって、そういう地道な過程なしに一足飛びにみんなに思いが届くようになったと勘違いをしがちなんだけど、人の考え方を変えていくにはもとより多大な努力が必要なわけで、「正しいことを言っているのになんでみんな理解してくれないんだ」という悩みなんてものすごく近い人間関係の中ですら発生するのにいわんやウェブをや、ということですよ。

稚拙な反論って切り捨てるのは簡単だけど、論理性が不足しているわけではなく、単に価値観や前提の違いに起因するものだったりした場合はそこを解消するための努力をしていかなければならない。

もっとも、「その努力は必要ない。俺が正しい。正しくないものは死ね」という考え方もあって、それがテロであるとか襲撃事件であるとかそういったものを呼んでいるわけです。そういったことをするから正しくない、なんてことはまったくなくて、でもそういう手段を選ぶ思想あるいは集団が生き延びるのはよくないよね、と僕なんかは思うわけですが。歴史を紐解けばそんな話ばかりですが。人類が次のステージに上るかどうかみたいな話をしているのに結局手段は武力かよみたいになったら幻滅せざるを得ませんが。