novtanの日常

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吹奏楽の編曲とコンクールカットの問題について

togetter.com

わりと今更な話で別に盛り上がる必要はないと思うんだけどね。

曰く、「この曲はそんなテンポで演奏するものではない」
曰く、「どうせ指定のテンポでやってもらえないからテンポ指定しないっすわwww」

これは某英国のお話。勝つための演奏、というのはコンテストあるところについて回るものですが。

さて、いわゆる「指揮者の解釈による改変」は特に未完成だったり加筆訂正中に作曲家が死んだりした曲ではよくあることです。補筆、補作、芸術家とはある程度傲慢でないとやってられないので、「俺の手によってこの曲は更に輝くのだ!」なんてのは日常茶飯事ですね。

本邦の吹奏楽界において、どうにもこうにもコンクールという存在はよろしくないと思わなくもないんですが、吹奏楽というものを芸術ではなく学生スポーツとして考えた場合、どうなんだろう、という思いはあります。甲子園で隠し玉をするな的な議論に近い。近くないか。

もともと、各国の軍楽隊のレパートリーはオーケストラの編曲モノであることも多いし、英国のブラスバンドなんて30人いない編成でやっぱりオケの曲をやりますよね(「ブラス!」のラストの演奏たるや…)。これには多分色んな理由がありますが、一番単純な話、オケを読んでオケの演奏をしてもらう、ということのハードルの高さという点が大きいんじゃないでしょうかね。戦地とか、田舎とか。そこには代替物としての需要があります。みんなあの曲のあのメロディーが聴きたいんですよ!そうやってカジュアルに名曲に接することができることがリスナーを育てるのですよ。的なね。演奏している人たちはもちろん原曲をリスペクトしていますが、楽器の構成が大きく違うことによる差異は埋められないので、どちらかというと戯画化する方向で行われることもありますよね。

さてさて、そういう枠の中で曲を抜粋する、というのはやっぱりそれなりに行われていることでもあります。ただし、本邦以外のコンテスト系で曲を時間の都合でカットする、なんて話はあまり聞いたことがありません。厳しい時間制限が本来その曲の持っている大事な部分を損なうのであれば、それは演奏する意味があるのか?という疑問もわきます。カットによって芸術性が落ちるのであれば点数に影響すべきだし、そういう基準がちゃんとない金銀銅な評価の付け方もいかんのかもしれませんね。とはいえ、審査員は数十のバンドがやる曲のすべてを事前に知っておくことは難しいわけです。

ところで、某英国の金管バンドのコンテストだと、「15~20分位の課題曲」と「15~20分位の自由曲」をブラインド審査するのでどのバンドがどの曲やるかわかりませんが、事前に審査員にはスコアが提示されており違うことをやったらわかるようになっていますね。

ともあれ、コンクールという場における曲のカットという問題は制限時間が厳しい結果ではあります。でも、原曲を知っていれば知っているほどカットされた曲のコレジャナイ感はすごいので、僕が仮に審査員だったら軒並み減点したくなると思うなあ。昨年度のコンクールの自由曲も某高校の某曲なんてすげーチヤホヤされてたけど、普通にやったら難しすぎるソロを別の楽器にサポートさせてまでやる、というほどの「やりたさ」があるのならなおさらあのようなカットが曲を損ねていることに(聴いている方も)思いを馳せるべきだと思ったんですよね。

まあ、ハープとか、ダブルバスーンとか、特殊打楽器とかそういうのが常設できない市民バンド等において、多少の楽器の改変があるくらいはできれば許してほしいと思わなくもないんですけどね(仮に、そういった楽器を使って書くことがその曲のどうしても譲れない線なら出版しないことを考えるべき)。もっというと、特殊な楽器をマストにするオーケストレーションは程々にすべきかなあと思ったりします。もちろん、吹奏楽というフォーマットで芸術性を追求していったときに編成がおかしくなるってことはよくあることだと思いますし、一部の団体専用曲として埋もれてどうぞ的な悲しさを伴うのも曲の運命というものかもしれませんが。

極稀に、カットが芸術性を高めることもあるんじゃないかと思いますが、それってもともとの曲が蛇足的な部分を持っていた、ということで別にそんな曲やってどうするの的な話でもあります。