novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

システムの作り逃げはなぜ起こるのか

流石にイラッとしたので殴り書いておこう。

xtech.nikkei.com

あのね、こういうのって発注側に責任があることがほとんどですよ。「要件を満たすクソコード」を生むのは発注側ですよ。早く安く=クソコードリスク極大なんですよ。をーたーほーるで設計をちゃんと検収するとかすればよかったんじゃないですかね?あるいは、「正しい見積を出してきたベンダーに任せる」のですよ。それを判断できない?じゃあ、高いITベンダーに「食い物にされている」と思わずに依存してください(その方が絶対品質上がるので。金はかかるけど)。

あくまで筆者の経験を基にした主観的な見解だが、「作り逃げ」は「なんちゃってアジャイル」(雑に手早く構築することがアジャイル開発だと勘違いしている)なベンダーやエンジニアに目立つ。

この話も、現象として捉えると確かにそのとおりだと思うけど、これ絶対ろくなRFPを振り出してないし、コンペになったときに見栄えがよいプレゼンで中身を大して評価せずに決めてるよね。だいたい、古くて実績のあるベンダーと、早く安く作りまっせというベンチャーとの差異は見積り金額において3倍、下手すると10倍を叩き出すことすらある。なぜそんな差がつくかというと、クソベンチャーの提案している費用の前提には往々にして「正常系しかない」のである。異常系フローもなければ障害時運用の考慮もない。「xxが起きたらどうなりますか?」「データロストします。再登録してください」「取引のトランザクションデータを手で再登録できるかクソが!!」というやり取りもフィクションではない。

それでも、それで問題ない、使い捨てのシステムだったり、手でのリカバリが可能なレベルしかデータのボリュームがないシステムってのはあります。だから、そういう作り方が悪いわけではないけど、長く強く使っていくシステムにおいては初期の設計で異常系が考慮されていないものなど建て増しリスクしかない。

システムの品質についてよくエンジニアの力量の問題にする人がいる。確かに、きちんとしたコードを書き、保守性を高めるために完璧なCI/CDを作り込み、みたいなエンジニアが作る「コードの」品質は良いんだと思うんだけど、システムの品質を決めるのはつまるところ、品質に対する要件にほかならないわけです。要件は発注側が決めるんですよ?可用性にしたって拡張性にしたって保守性にしたって、みんなそうですよ。やっすい提案してきた奴らの提案書にそのあたりが明記されてましたか?

あとのことなんて想像できない人たちがは作り「逃げ」なんてしません。逃げてる意識すらない。彼らは表面上言われた通りのものを作ることが仕事、という認識しかないんですよ。そして、それでも良い世界はあるんです。そのことそのものが悪いとは全然思わない。でも、書いてないことをわざわざやってくれる人は、ほとんどいません。

そういう仕事しかしないエンジニアばかりではもちろんないんだけど、じゃあ、たまたまハイスキルでそういった経験も豊富で隅々まで目の行き届く人に巡り会えたからといって、次の仕事もそういう人が見つかるかというと分の悪い掛けです。困ったことに、超ハイスキルエンジニアの生産性はとても高く、その人だったらX人月でできた仕事なのでそのくらいが相場だろうと思ってちゃんとしたベンダーに頼んだ場合、軽く5倍はかかることがあるでしょうね。「なんでそんなに掛かるんだ!」って怒ってはいけません。そっちが本当の相場であり、超ハイスキルエンジニアはものすごくお買い得だったんですよ。そういう人を見つけたら今の倍払っても抱え込んだほうが良いですよね?え?そんなに継続して仕事ない?ですよね。だから高くてもベンダーに頼むんですよ。システムを作り続けるのが自社の重要な事業でない限りは、そこでわざわざリスクを取るの、まともな判断でできるわけないですよね。

ワニが死んだら儲かった?話

本当に「儲かっている」のかは知らんよ?そのへん、かけたコストに対してリターンがしっかりかかっているのかを評価することは外野にはできないけど。

このムーブ、全く乗っていなかった(ワニが死ぬ予定の話は読んだが100日をかけた伏線、というわけでもなさそうだったので死んでから見に行けばいいやと思っていた…)ので怒る要素すら僕は持ち合わせていないんだけど、「えーなんでー?」ってなる人の気持はわかる。激怒する人の気持ちはわからん(何を期待していたのかがそもそもわかんないんだ)。

ましてや「死を軽々しく扱う」批判は死んだところを読んだあとですら、納得がいかない。仮にあそこに作者の意志が込められているとしたら(表現は独り歩きするものだから作者が何を言おうが関係なく勝手に読み取るけど)、死の日常性ということに過ぎないんだと思うし、我々はその日常性に知らんぷりをしながら生きすぎているということじゃないかとは思っている。僕自身、昭和の生まれではあるが、昔はもう少し「人は死ぬもの」という前提で物事が進んでいた気はする。寺とのつながりが薄くなったり、地域のコミュニティーが衰退するというムーブメントは「できれば死にたくない」の裏返しなのかとは思っているが、人は突然死ぬんだよね。そういった世の中というもの、という観点から考えると、とてもよい締め方だったとは思う(人…ワニだけど…が死して残るものはなにか、という点でもね)。

本件に関して言うと、100日後に必ず(作者が先に死ななければ)死ぬ、というところがまあまあ仕込みとしては新しい感じがしたためいろんなことが起きたと思うんだよね。特に、それが「死ぬタイミングでわざわざ発表される」ことによって。正直、怒るほどではないけど、いやらしいな、とはちょっと感じてしまった。これは作者がどうこうという話ではない。作者が儲かるのはいいことだ。Twitterで毎日投稿して人を楽しませている人に一銭も入らないというのは好きでやっていることであってもできればそうならないほうが良いに決まっているし、楽しんだ人ほど儲かることに喜んであげるべきだと思うんだよ。

でも、この話は難しくて、多分だけど100日楽しんだ人ほど、このタイミングの仕掛けでは、それに乗る意義があるはずの、作者への「コンテンツを楽しむためのダイレクトな投資」という応援ができない。もう楽しみ終わっちゃっているからね。かといって、死んだワニのグッズ買うか?(買う人は当然いるだろうけど)
そのあたりの設定が全体的に雑でやっつけ感のあるイベントになっちゃったのが残念な感じですね。

らーめんMAIKAGURA@千歳船橋

久々に車で出かける用事もあり、せっかくなので普段行かないようなところに寄ってみようと思いラーメン屋を探すも意外と祝日営業時間の成約でピンとくるところがなかなかなくてだいぶ遠回り…

で、千歳船橋の新しげな店へ。

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一口食べてーうわーっとなる。というのは先日Kinariの記事のシメで書いたとおりなんですが、芹沢さん(架空の人物)が言いたいことはこれか!みたいなど真ん中の、レベルが非常に高いがちょっとクローン感がある素晴らしい鶏と醤油でできたラーメンでした。
極細の平打ち麺がスープを持ってくる量がすごいので、カネキッチンに比べても味を濃く感じる(ので、こんなにスープの量なくても成立しそうな気がするけど)。まあ平均点がかなり高い感じのラーメン。お肉は個人的にはイマイチ…

とても美味しいし、近所にあったら通ってもいいと思う一方で、交通費払って並んでまでは食べに来ない、という感じのラーメン。もちろん、これがワンアンドオンリーでここでしか食べれられないのであればこの衝撃で通い始めてしまうような印象はあるんだけど、何しろ近所にカネキッチンあるし、もちろん細部の特徴は違うしここの店は鶏白湯も名物らしいのでそれも食べては見たいんだけど、多分あそこのアレとかと同じ雰囲気なんだろうなと思うとまあいいか。

こだわって丁寧に突き詰めていくとシンプルにここに行き着く、という話ではあってこれが流行ることは全然良いとは思うんですが、こっちに行けば行くほどこの手のラーメンは中華料理のコースの締めで食べたいなーみたいな領域に行き着いてしまう気がしているし、単品料理としてのラーメンの「暴」の部分を失っている気がしなくもないわけです(それをトッピングでカバーしている店も結構ある)。