novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

スマホがなくなる日

ちょっと前に、SFガジェットは具体的に書きすぎないのが陳腐化を避ける手法みたいな話があったけど、それには全く同意していなくて、その時点での未来のビジョンを見せられなくて何がSFガジェットか(あくまでガジェットに絞った話ね)、と思うんだよね。アンシブルとかはたしかに汎用性高いけどさ。

まあ、そういう話でやり玉に挙がるのってやっぱり端末だったりする。有線の電話、無線、スマホ、キーボードがタッチパネル、みたいな。だから「端末」って書いときゃいいじゃん的な(マンガ化どうする?)

でもさ、よく考えてみると、スマホってもともと電話という単機能だったものにいろんな機能を足していって革新的なUIをくっつけた、というだけのものと考えられるわけだし、もはや汎用デバイスになっちゃっているし、肝心の電話部分って本体はSimと通信モジュールだけってことだよね。携帯の電波網の方が本体、という考え方もできそうだ。でもそれは、PCやタブレットにSim指すのともう大きさ以外ってあんまり違わないよね、という世界になってきている。するとだよ、端末の未来は端末という形がなくなる(=人間自体が端末である)、というようにしか思えない(それすら陳腐かもしれんけどね)。そんな未来予想の中で「端末」という物理的な存在を描写すること自体が陳腐なのではないか?

だから端末ってしときゃいいじゃんってのは想像力としては弱いし、曖昧な描写が物語のディテール自体を損ねるくらいなら、時代性のあるSFガジェットの描写をしたほうがマシって僕は思ってしまう。

第二新卒の応募者が全員「効率化」って言うんだけど

そりゃね、うちはSIerですよ。個社でBtoCなサービスとか提供していませんよ。でもね、別に業務効率化で社会に貢献、なんて考えてないのよ。お客さんのサービスを一緒に考えたいのよ…

とまあ、そういう感想を抱く程度には「未経験転職組」の面接時に「現職の仕事の中でこういった問題が云々~効率化が~」なんて言う人が多いんですよね。これ多分エージェントが「効率化はウケるキーワード」とか言っちゃってるんじゃないかなって思うんだけど、逆にそれしか考えてねーのかとしか思わんのよね。いや、アレですよ、もう完全に立ち遅れて単なる電算化のことをDXなんて言っちゃっても必ずしも間違ってないんじゃないかな的な企業において、IT導入すること自体が効率化につながるってのは確かなんだけど、このコロナ禍の中でみんなが考えている効率化の真髄は余裕率を削ることにあり(つまり危機に弱い)ってこと、バレちゃったでしょ。ITずっとやっている人の意識としての効率化って、「意味がないもの」をいかにしてなくすかであって、多少なりとも意味があるものであれば、それは意味のあるものとして残す、というのも正しいことだし、それをなくしていくってのはリスク評価してBCPちゃんと考えた上で決定することだし、効率化って枠に留まる話じゃないし、結局2~3年くらいしかその仕事してない人の考えている効率化なんて効率化でもなんでもないんだよね。脱いだ服洗濯カゴに入れないで直接洗濯機に入れちゃえばいいじゃん、程度の話(そして後で仕分けするはめになったりしてね)。

少なくとも、ITの仕事において効率化はゴールではない。もっとも、単体のシステムで見たら、そのゴールは効率化かもしれないけど、それはお客さんのビジネスのゴールでは(ほんとうの意味では)ない。

別業界から、未経験でITに飛び込もう、「稼げそうだからプログラマ」じゃなくて、ちゃんとITの仕事に向き合う人生を考えている、のであれば、効率化というキーワードじゃなくて、自分がどんな業界のサービスに携わりたいのかを語ってくれたほうがよっぽどその人の未来がイメージしやすいです。

議論の仕方のおさらい的な何か

博物館スケッチ話をトリガーにちょっと考えてるんだけど、なぜあの話がネガティブな反応を多く集めたかっていうと結局の所「スケッチするのは(場合によっては)迷惑」と考える人が多かったんだろうと思った。この(場合によっては)は案外バラバラなことを言っている気はしている。でも、ある程度「迷惑をかけてはいけない」はコンセンサスな感じは受けた。でも、どうしようもなく邪魔になる場合はあるだろうけど、それ以外の場合、みんな多少なりともそういうの許容すべきってのが大きな流れだと思っていたので、ちょっと意外だったんだよね。救急車のサイレンが迷惑だ、みたいな話、どう思ってるんだろう。

ただ、一方で思うのは、エントリのネチッとした書きっぷりが「気に食わない」のではないだろうか、ということ。でも、それで書かれている内容の評価そのものを変えちゃダメだろお気持ち表明か?ってなるよね。趣旨には合意だが、お前の書き方が気に食わない、とコメントすべきなんじゃないかなそういうのは。

って考えると、みんな案外「言い方が悪い」に敏感なんだと思うんだよね。でも(たとえば)政治の話になると急に「言い方が悪いという批判は正当ではない」とか言い出すよね。

で、こういうのをあっさり「党派性」という言葉とかで片付けちゃうのも最近流行っているような気がする。昔話をすると、だいたいこの手の話でそういうことをすると「レッテルを貼ってる」と言われて卑怯な論者扱いされたものだけど、今は党派性を発揮する方も、それを批判する方も、とにかく安直な手段に走りがちだと思っていて。まあ、Twitterの文字数が悪い(レッテル貼り)。

お気持ちであれ、政治的スタンスであれ、一人ひとりが考えていることはどうしても差異があるものだし、人間なんだから全員が統一された理屈をもつ必要もないし、折り合いをつけていくことの連続が社会のコンセンサスを作っていくものだ、というのが僕が考えているありようだけど、その点から言うと、「似たような考え」の差異の部分をよく見極めないで似ている部分だけで同調していくことってとても怖いことだと思うし、リアルな関係性だったら遠からず破綻する。ネットの関係性はそこをごまかせる要素が強いからこそ、近いところで団結しないといけないってなっちゃうのかもしれないけど、それは一人ひとりがどういう人格であるかを軽視していることでもあるし、ちょっと前ならブログの過去現在をピックアップすればその人のバックグラウンドや考え方の変遷がわかったものだけど、SNSではそういうことはほぼわからない。ネットにオピニオンを発信するのであれば、最低限ブログのような形で思考や歴史を積み上げていくことが望ましいと思っているけど、そういうのも古い感覚なんだろうか。