novtanの日常

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デマの強度

例えばここに「N氏_BOT」という物があるとしよう。N氏の言っていることも言っていないこともN氏が言ったかのようにTweetするBOTだ。「N氏が言ったかのように見える」ことは、N氏の立場からするとN氏が言ったというように勘違いさせるように仕組まれている、という意味で紛れもなく「デマ」である。

一方、N氏はあるトンデモさんを批判している。その主張はトンデモさん側から取ってみれば「自分たちを否定するとんでもない考え方」である。客観的に見ればN氏に分があるが、当事者からするとN氏の言うことはデマということにしたい。というよりは、ロジカルな受容を拒否するためにデマ扱いしている。

なので、トンデモさんたちにとっては「N氏はデマを流されたって怒っているけどお前だってデマばかりじゃないか!」というロジックは成立してしまう。もちろん、ここには対称性がなく、批判として成立していないのは外野から見ると明らかである。

何かを「デマである」と断言することは実はそこそこ難しい。客観的な証拠があることでも一度正しいと思い込んでしまうと人はなかなかそれを否定するものを信じないという習性がある。客観的に見ることが難しければ難しいほど、その傾向は強まる。よって、専門的な分野について素人がデマを信じこまされてしまうと、それを解消するのはかなり難しい。悲しいことに、そのデマを信じる際にはそれほど深い思考がなされていないのにも関わらず。

こうなると、対立する相手の否定的な意見はすべて「デマ」である。なぜならそれ以外にその批判をかわすすべを知らないからである。検証した上でデマとしているのとそうでないものは外野から見るとやっぱり明らかなんであるが、すでにアイデンティティのレベルで当人に食い込んでしまっている考えなので当人を説得することは容易ではない。

何のために科学があるのか、ということの一つの意義はここにあるんだと思う。科学を軽視することがデマの強度を強める。