novtanの日常

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囲碁と将棋の擬人化と「捨て石・駒」についてのイメージ考察

まあ碁は幽霊が憑依することがあるんですが(それはヒカルの碁)。

「捨て駒」がなんだかわかってない奴、多杉 - やねうらお−俺のやねうら王がこんなに弱いわけがない。 (第2期)

王様と捨て駒が擬人化されているところまでは理解可能なんですが、妹?なぜ妹ww

ハチワンダイバーのなるぞうくんなんかもそうだけど、将棋の駒は種類別にキャラクター付けが明確にされている分擬人化しやすい存在であり、その分感情移入もしやすいのであります。

一方で囲碁はどうだろう。白石と黒石のそれぞれは碁笥に入っている段階では等価値であり、打たれた後もビジュアル的にはなかなか差をもたせづらいですね。

将棋が戦術的、囲碁が戦略的ゲームとしばしば言われる(必ずしも適当ではないにしても)ところにはこのようなビジュアルイメージが絡むところもあります。

将棋は駒の価値が重要なのに対して、囲碁は手数を稼ぐことが重要ですのでより一層、石という個の存在が希薄になっていき、「捨て石」という言葉に「お前、全体のために死んでこい」的な冷たさを感じるわけですね。「尊い犠牲」の白々しさ的な。大体捨て石打ちまくりますからね。
一方「捨て駒」ではその駒の「価値を犠牲にしてまで」というイメージが強いです。だから妹が「お兄ちゃんの犠牲を無駄にはしない!」って叫んじゃうわけですよ。歩ばっかり捨て駒にされるんだったらイメージ違ってくると思うんですけどね。

というわけで、「俺を捨て石にしやがって」のほうが「お前は組織にとって単なる一つの石にすぎないんだよ。黙って死んでこい」という組織の冷たさを感じさせられていい感じですねw