novtanの日常

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不幸をエンタメとして消費するときのルール的な話

例の児童養護施設ドラマの問題について簡単に。

岡村隆史、日テレ・ドラマ批判に苦言「お門違い。批判のターゲットに。テレビ終わった」 - ライブドアニュース
作り手の立場からすると基本的にはなんでもありにしたいでしょうけれども、電波って一応公共のものとされているんですよね。どうしてもやりたいならセルビデオでやればー(それだと売れないだろうけど)という世界でもあるわけですよね。

今回のやつは社会問題として取り上げる切り口としては良かったのかもしれないけど、脚本がアレ(まあいつものアレ)でしょっぱなからアレな情景が繰り広げられた、というのが一番問題だったんだと思うな。最後まで見てとか言っても連ドラなわけでさ、最初にセンセーショナルな情景が繰り広げられたらその印象が暫く残るわけじゃない。問題をちゃんと見せたいとしたらこれはミスだと思うし、そもそも言い訳にすぎないとも感じますよね。

この件で更に腹がたったのは、そういう批判的な声を取り上げるスポーツ紙だかの記事でまるで子役が加害者かのような見出しをつけてたこと。

まあ、こういう身も蓋もない話になりますよね。

テレビ、特に民放のテレビドラマは、何かを告発したり啓発したりするものではなくて、単なる娯楽でしかなくなったのだ。「エンタメ要素を含んだジャーナリズム」的なものではない。少なくとも、普通の視聴者はそれを期待してない。

おごちゃん : 「明日、ママがいない」のこと : SHORTPLUG.JP

娯楽としての消費をされる「不幸」ってのはテレビのみならずたくさんあるわけなので、不幸を娯楽として消費することが即悪と断ずることもできないけど、「ありふれていないこと」をフィクションとして消費することの問題ってのはどんなメディアでもよく発生するよね。

よく知られていないものの「実態を描いた」とされるフィクションって結構その描いたとされる対象から「事実無根」「誤解を生じる書き方」というクレームを受けることがあるじゃない。それはノンフィクションですら例外じゃなかったりするんだけど、フィクションであれば尚更ストーリーの為に必要な「嘘」が事実を歪めるよね。

不幸をメディアがエンタメ化するときは、それがあまりにありふれていて特定の誰かが傷つかないようなものか、あまりに現実とかけ離れてファンタジーでしかないものでない限り、公共の電波という場にはふさわしくないのかもしれませんね。