novtanの日常

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なぜ功成り遂げたジャズ・ミュージシャンはビッグバンドをやりたがるのか

この手の話はきちんと論評がされていると思うので今更僕が書くような話でも無いとは思うんだけど、まあ例の問題に絡めて主観要素多めで書き残しておくことにしてみます。

その存在意義からして古くて新しいフォーマットであることを宿命付けられているジャズという音楽は、生演奏の商業的価値が変容していく影響は受けてきたし、今に至って割のいい商売とは決していけないけれども、一つのジャンルとして商業音楽のまま芸術で在り続けることが出来るかという問いに常に(青息吐息ながらも)答えを出し続けている一つの世界であることは確かなんじゃないかと思います。
作曲家=プレイヤーであることが多い事もあって、「やってくれる人がいない」という問題はあまり生じないと言ってもそれはあくまで少人数フォーマットである利点でしかなくて、多層的なハーモニーを必要とする音楽や圧倒的なダイナミクス(PAを使ってではなく)を必要とする音楽をやろうと思ったらやっぱりそれなりの人数を集めることが必要であり、つまりお金がかかるわけですね。

古典とも言えるバンド、例えばグレン・ミラー・オーケストラなんてのは言い方が悪いけど過去の遺産で喰っているわけですが、それでもそれは彼らがワン・アンド・オンリーであるから成立していることもあります。少なくとも、プロにおいてグレン・ミラー・オーケストラのコピーバンドという需要があるかというと…ない。バンドがすなわち音楽である、ということがポイントです。

ビッグバンドをやるには沢山のミュージシャンをある程度拘束しなければならないというわけで、若いミュージシャンが起用されることも多いし、そのことが糊口をしのぎ、大物への道になったという人もたくさんいるわけです。ジャズ・メッセンジャーズが担っていたような役割をいろんなビッグバンドが担っていたのではないかと。

ある程度歳ををとって、少人数でできることがやり尽くされてくると、オーケストラ(ビッグバンド)でできることに挑戦してみたい、というのは恩返しという点でも好まれているのではないかと思うんですよね。

ビッグバンドでしか出来ないサウンドというのはあって、それは特に北欧ジャズやMaria SchneiderやVince Mendozaという人たちの創りだすものに特徴的なもので、必ずしも「大物プレイヤーが歳を取ってから組成したビッグバンド」しか活動の場が無いわけではないんですけどね。

といっても、ビッグバンドって精々20人程度のフォーマットであって、クラシックのフルオーケストラに比べればだいぶお手軽ではあるんですよ。そして、各人がそれぞれの活動の場を持っていて、楽器の維持管理なども個人の領分です。

そういう点で、「演奏をしてもらえない」という現代音楽の困難と比べてはいけないんだろうなと思う反面、現代音楽において、作曲者・演奏者・観客という3者のニーズがなぜ噛み合わないのかということについてもっと真剣に考えるべきなんじゃないかとも思うんですよね。前回の記事で引いた大野さんのコメントがその問題の現状を端的に表しているのではないか。

「のだめ」ブームがどういうものであったか、ということももう一度考える必要がありますよね。あのSオケとはなんだったのか。
あるいは、アニメやゲームの音楽の演奏会が子供向きというだけでなく存在するということ。
そのことを忌避してしまうのは演奏家としての矜持なのかもしれないけど、本当にそれは正しいのかなあ。現代の作曲家は無垢な聴衆に向けて入門を促す曲を書いてはいけないなんてこと無いよね。

僕は一応クラシック演奏家の過程に育っているけど音楽の英才教育を受けたこともなく、ゲーム音楽を間口に世界を広げていった人間でもあるので、そういうことの重要性はよくわかります。

現代の作曲家はもっともっと「名前を売るための音楽」を書いていいと思うし、そこで得た名声を十二分に活用して「新しい世界」を開拓していって良いし、「商業に魂を売った」と思わずに評価する現代の批評家も必要なんだと思います。だって超有名人のビッグバンドとかぶっちゃけ「10曲あって9曲は駄作ww」みたいなアルバム多いもんね…

今回のゴーストラーター問題を業界の堕落と考えるのは仕方ないにしても、結果的にもう少し売れるということに真面目に向き合っていくべきなんじゃないかと思いました。