novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

自分のことを「バカ」ということについて

先日ちょっと件のコウモリさんとTwitterで会話したんですよ。
その中で「僕自身がかなり視野の狭いバカなので」というフレーズを発されていてとても引っかかりました。

自分についてバカって言う時ってどういう時だっけ、と思い起こしてみると。

  • 他愛のない失敗をしてしまった時 「何やってんだ俺…バカだなあ」
  • 勘違いをしてしまった時や簡単な事に気づかなかった時 「なんだこんなことだったのかバカだなあ」
  • 相手の言ってることがよくわからない時 「俺がバカなのかな?お前の言ってることが全然わからん」

みたいなときだね。

こういうのって本当にバカって思っているかというと少なくとも思考能力が劣っているという意味での「バカ」とは思っていないですよね。ミスをしたという行為をバカと言っていたり、相手のことを暗に批判していたり。

現実として、自分が誰よりも賢いという人はまあ滅多に居ないでしょう。自己評価としてのバカは相対的なものではなく、(個々がイメージしている)水準以下という意味であることが多いでしょう。僕は自分がバカであるとは全く思っていない一方で、相対的にはかなわないなーと思う相手も居ます。粗忽な部分で行動上はバカという評価をすることはままあります。
自分がバカではないという評価は他人の言っていることを理解し、自己の糧にするためにとても重要な事だと思っています。

バカだから/勉強できないからという自己評価で物事を深く考えなかったり、他者の言っていることをシャットアウトしようとする人を何人も見てきました。そのことを否定してもしかたがないと思うんですが、一方でそういう人が他人に理解を求めるときは多分に感情的な要素が強いことがあります。ただ、そういう自己評価を持っていても自分のできることをコツコツと積み上げて周りに影響を与えてくれる人もいます。僕もそういう人にかなり助けられて生きてきました。

ただ、論理により人に影響を与えようと考えている人は、自己評価がバカであってはいけないんじゃないかと思っています。その文脈においてバカというのは知識ではなく論理性の欠如と受け取られることが多いからです。冗談めかして自分をバカにする、あるいは他人からのバカという評価を受け入れるというのはある種の免罪符を自分に与えているのではと疑うこともあります。

罵倒としてバカを使うことは特段否定するつもりのないことで、僕も使ったりします。それは当然ながら罵倒としてしか機能しないと考えていて、本当の評価としてバカを使うことは他者にはなかなか出来ないことです。それこそ親とか教師とか上司とかに言われる言葉であり、人間を深く傷つけるものだと思っています。
だから、自己評価で軽々しく自分をバカという人は本当にバカなのか、謙遜にしてもプライドがなさすぎるのか、予防線を張っているのか、いずれにしてもあまりよい印象が持てません。

僕は、自分がバカであると思う人ができるだけ少なくなってくれる世界が好ましいと思っています。バカじゃないから変われるんだと思っています。
「自分、XXバカですから」という言葉はXX以外のことはともかくXXについては絶対の自信があるという逆説的な言葉ですよね。そういったポジティブなバカは歓迎なんですけどね。

この文章はかなり実用法上多義的な言葉を明確な定義もせずに徒然なるままに語ったものであり、印象論以外のナニモノでもありません。