novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

ゲージュツを語る時くらい殴り合いの喧嘩をすべき

物事に価値を与える、という大それた行為を行う時、人は傲慢じゃなければならないでしょう。

佐村河内守を嫌いになっても、聴覚障害で遊ぶことはやめてください! - 夜の庭から
このエントリの主題についてはいうこと無いんですけど、最後がちょっと気になった。

もう一点。この件に触れて「わかっていない奴」を揶揄する人もちらほら見かけるけど、音楽の何がわかっているんだろうね。「音楽がわかる」と主張する人は具体的に説明してみてほしい。
一応、大学で専門に学んだけど、私は「わかる」なんて言えないよ。恐れ多くて。

確かにここで言う「わかってない奴を揶揄する人」というのが何をわかっているのかは疑問ですけど、そもそも音楽やら絵画やらそういった分野において「わかった気になる」というのは非常に重要な事だとは思うんですよね。「わかる」には沢山の段階があって、それを積み上げていくとより高次元の「あかる」に到達する、ということでしかなく、各段階にやはりそれなりの「わかる」はあるので、その段階から見て「あいつらわかってねーなww」というのはその上の階層からみたら「あいつらバカスwww」なのかもしれないけど、関係性としては全然間違っていないと思うのです。

今回のあの問題なんて騙した騙された以上の話はある階層以上の「わかる」人じゃないとわかんないよねやっぱり。

芸術で難しいのは確立された価値観であれば「わかる」で済むんだけど、それと対立するような別の価値観や既存の価値観を疑問に思うこともまた芸術活動として正当であるということなんだよね。だから、特に昔の文壇では喧嘩なんて日常茶飯事、決闘すらやっていたわけで。

でもそういう殴り合いも同レベルじゃないと発生しないしね。わからない人に「わからせる」努力をしていきたいとも思うし、そのために自分が少なくとも「わかっていること」を常に確認しようとはしているので、同レベルのわかる人たちと飲み会に行く度に口角泡を飛ばすように音楽談義をしてしまったりもするんですよね。

傲慢かつ謙虚であるのは難しいけど、芸術を楽しむにはそれらを同居させていく必要はあると思ってるんだよね。