novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

「としての自分」を売り買いすること

古代においては命は金で買えた事が結構多かったと聞く。もっともそれは「命を贖う」というものであって、保釈金のようなものだったけど。
もっとストレートな話としては奴隷というのもあるけど奴隷は人間(扱い)じゃないんで。

現代において、命の売買は可能なんだろうか。

という深遠な話ではなかった。

このノートは1冊500円で売る。これを買う意味は、「佐々木あららがいる未来」を買うということだ。100人の購入者がいたら、「佐々木あららのいる未来」はあなたの元に現れる。まあそこはいい。

佐々木あららの命を売ります | 佐々木あらら | note

えっと…それ全然命買ってませんから。所有できてませんし。腕を買うみたいなイメージ?じゃあ腕売れよと。

100人現れなかったら? あなたは「佐々木あららのいない未来」を買う。私はあなたがたから、「もう生きなくていいよ」というお墨付きをもらったということになる。

いる未来を買った人の立場ないっすねこれ。

ボーダーをつけるということは、ボーダーの片側の人の意見は無視しますっていう宣言でありまして、存在意義をそういうところで担保しようとしてしまうのは表現の原動力を自分自身に求められないということであれば、他者に問いかけるまでもなく存在意義などないんじゃなかろうか。