で、高度に発達した予防線は上から目線と区別がつかない。
実際問題、区別がつかないというわけではなくて、事実だいたい後者だってことなんですけどね。つまり前者は言い訳的な部分が大きい。心底前者でやっているのであればそれは表現能力とか共感能力がちょっと常人からズレている部分があるのかもしれません。
「やってあげている」なんてのが典型的なそれで、「いやお前俺のなんだよ?」ってなりがちですよね。「あなたのためって言ってるお前が最初にどうにかなれよ」とかね。
必要以上に自分を卑下したりするのも本人的には気遣いだったり予防線だったりするんでしょうけど、そこからどうしても透けて見える何かからそうではないことを読み取っちゃったりしますよね。これ、別に誤解されているんじゃなくて本人以上に他人のほうがその深層心理を読み取りやすいってだけなのかもしれません(本人気づかないけどダダ漏れている人っているよね)。
なので、区別がつかないというよりは主観と客観で2つの状態が同居しうることはよくあって、客観による意見を主観で拒否してもなんのコミュニケーションにもならないってことなんでしょうけどね。
つまり、「俺はそんなつもりじゃなかった」というのは何の役にも立たない弁明でしかないことがほとんどだったりするんですよね。