novtanの日常

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受け手にとっての広告記事の本質とは

思えば、CM見て感じることって「あ、あのCMなんかいいね」じゃないのかな。CMそのものは何がしかの売りたいものがあって見せるものであることは確かだと思うんだけど、実際にCMそのものはで提示されている事自体は必ずしも「このモノがいいですよ~」ではないよね。CMは存在価値のアピールではあるけど、そこにはもうちょっと色々な何かがあると思う。
でね、これを読んで思ったのは、つまり「広告」とは必ずしもCMじゃないよねってこと。まあ当たり前なんでしょうけど。その中でステマの問題が何故出てくるのか、ネイティブ広告はなぜ理解し難いのか、というのはなんとなくわかった気がする。一人の受け手としてだけど。

CMに僕がウザさを感じるときは大抵「もう見たよ、もう知ってるよ、もうわかったよ。何回見せれば気が済むの?」みたいなときで、大抵のCMはそれが必要な層にリーチしちゃったらそれ以上は不要だよね。忘れないように繰り返すのも大事だけど、短期間に何回も見る必要はない。そういう存在。そこから先は自分で必要性を判断するんだよね。一方で、ステマなんてのは特にそうだけど、その判断の部分を執拗に提示してくることが多い。実はそれ判断じゃないんだけどね、というのがステマの本質なんだろう。参考になるはずが実はステマだったら参考にならない的なね。これは単純に言うと時間の無駄度が高い。
たとえば、ヨッピーさんの記事が許される(許してない人はいると思うがw)のは、仮に広告だとしても自分が全力で楽しんだ結果それが面白くこちらに伝わるからだ、と思う。そこにはこちらが判断するに値する情報量がふんだんに盛り込まれていて、しかも主観的なのに客観度合いの高いように見える表現力がある。まあそれもある意味ウソっぽいっちゃあウソっぽいわけだけど。

価値のある広告ってのは人の時間を無駄にしないものなんだと思う。だからそこに嘘があってはいけない。ネイティブ広告自体がなかなか概念として受け入れられないのはそこにステマまがいのクソ広告がたくさん存在するからであるからだろうし、それによってネイティブ広告という概念が自体がダメということにもならない。ただ、クソネイティブ広告の時間の無駄さは今までの広告の比ではないよね、ということが問題としてはデカイんだよね。

これは単純な話としては「広告の書き手が足りない」という問題なんだと思う。まっとうな広告記事は面白くないこと甚だしいことが多いし、面白いネイティブ広告はもっと少ない。面白い記事があってそこについでのように広告がある程度が一番良いんだと思う。あれ、じゃあそれ面白い記事についているバナー広告となんか違うの?と考えると、受け手にとって広告記事というのは本質的には不要なものなんだと思うし、ネイティブネイティブ言っても結局広告そのものは記事の面白さに依存しているレクタングル広告程度の存在感であるべきなんだろうと思うんだよね。ヨッピーレベルになるとあれはもう広告というよりはレビューだしね。