novtanの日常

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エヴァゴジラ…じゃなかったシン・ゴジラ見てきちゃった(ネタバレあり)

僕と映画の関係は薄くて、一番最初に見たのは仮面ライダー大集合みたいなやつだけど物心ついていなかったので怖くて泣いてた的なエピソードしか記憶に無い。次に見に行った映画が84年ゴジラ。これはまあ面白かった記憶がある。

その後あんまり映画を見ない日々。社会人になってみた映画。

  • 破(義務)
  • レッドクリフ
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  • まどマギ劇場版

なので、映画とは~とかそういうのを語るつもりはないのだけど、ネタバレありで感想を記しておこうと思う。

まず、単純な話として面白かったか。面白かった。なんか周りが身じろぎもしない感じがなんか辛かったけど。結構フフってなったんだけどなあ…

予め、ネタバレしない程度の絶賛の声、批判の声を見ていたので、特に批判側の「キャラクターが立ってなくて群像中心」的な話が頭に残っていたんだけど…うーんと…そうかな?なんだろう、キャラクターを描くための背景ってそんなにエピソディックな語りが必要なのが映画なの?少なくとも、主要なキャラクターに関してはきっちりと描かれていたように思えるんだよね。総理の造形もまあありそうな感じだし、あのキャラクターだと退場せざるをえないよね。防衛大臣がまあ怖いわな。すごい有りそうな感じで。もうなんだったら私の目の黒いうちに自衛隊を出勤させたいーみたいなね。これあれよ。決断力だけ高くても役に立たない典型なわけで、超ありがち。これも死ぬしかないよねw
で、官房長官ですよ。有能よね。この人いないと実務回んないよねみたいな。そりゃ退場するわw死亡フラグないままみんな死んだ的なことを言っている増田がいたけど、前半戦って全編死亡フラグじゃん。
んで、この人達みんな退場するわけなので、それ以上の描写いらんじゃない。無能ではなく、しかし有事の人材としては少しずつ欠陥を持った人たち。文民政治とはかくあるべきだよね(防衛大臣除く。
生き残った総理代理もさ、ああ、いるよね、こういう人。あれはどうも無能扱いされてたけどある程度わきまえてたっていうストーリーだったけど、実のところあれはあれで有能なんだと思うよ。分相応の仕事を成し遂げたという意味でもね。

でさ、オタク集団…じゃなかったはぐれもの巨災対の面々ね。まああいつらもそういうアレだわね。空気読めないけど有能ってのはありがちなんだけど、別に単なるオタクじゃなくてさ、あれはプロなんだよね。別にコミュ力が無いプロってわけでもないよね。環境庁のアレですら、コミュ力的には問題ないし、アレはオタクではないよな。プロとして見た時に、あれ以上バックグラウンドいる?十分だよね。

さて、カタルシスが映画のフォーマットに沿ってなくて、気持よくないって言う感じの増田がいたけどさ、なんというか、これって一種のホラー映画じゃない(エンディングを見る限りそれは明らか)。バタリアンの逆みたいな。唯一その辺りですっきりしなかったのは、矢口プランにとって重大な問題が重大であった時間が短すぎたってところだと思うんだよね。あそこに緊迫感が足りないといえば足りない。

ゴジラが変態していくところは色々思うところはある。最初のやつがキモカワイイわけだが…あれの凶悪度合いが低すぎてなんつーの?ギャップ萌え?いや萌えないけど…次の形態の見どころはやっぱり手だよね。ゴジラってイメージ爬虫類だけど、あそこだけ両生類的なね。あれみたときは「大丈夫か?この映画?」って思うわけですよ。

で、ゴジラが去るじゃん?で、日常が帰ってくるじゃん?いや、そこ帰って来ちゃダメだろ?って思ったんだけど、先の震災の次の日が月曜だったらなにがどうなったかってこうなったんだろうなwただ、全体的に避難は遅すぎるよな。

という意味でさ、リアルリアルと言われていた感じがしたけど、あくまでこれは完全なるフィクションとして作劇されているんだな、ということは感じたわけですよ。自衛隊はものの役に立ってないし(まともな戦力という意味で)、米軍は報復されているし。核を使う判断が早過ぎるのも作劇上の理由だとは思うね。もうちょっと日本蹂躙させておけばいいじゃん的な。

最終パートに関しては真面目に見るのもバカバカしいというか、新幹線はともかく、在来線はもうあれギャグでやってるじゃないですか。で、建機の第一陣がふっとばされるわけじゃないですか。まあアレがないとアレなのかもしれないけどさ、アレが限界値というか、本来この映画のありうるべき解決は人智が及ぶところではない何かであるべきなんだと思うんだけど、及んじゃったわけですよ。及んじゃったからこそのあのエンディングではあるよね。

いざゴジラが現実に現れたら、日本は本当にこうなるのか。ならないよね。ならないと思うよ。だからこそ、この映画はシミュレーション映画でもあり、今頃現実とのギャップに絶望を感じている人がいるかもしれない。いないかもしれない。まあ現実にゴジラは出てこないだろうね。宇宙人はわからんけど。でもゴジラは象徴的には核の化身なわけで、だからといってこれは決して先の震災と原発の問題を扱っているのではないと思う。無関係ではないにせよ、人間が「未知なるもの」に対して怯んではイカンのだよということでしかないよね。

でも、結局のところこの映画のオチは、希望ではなく絶望なんだと思う。シン・ゴジラというタイトルが何を意味しているかということには解釈の多様性があってなんとも言えないけど、物語の受け手として思ったことは、結局のところ、人智は及んでいないのだろうということだよね。で、またしてもその話は核への批判に思えてしまうかもしれないんだけど、僕が感じたことはそうではない。人間は神に対して不遜であるがゆえに人間なんだということにすぎない。あのエンディングから、新たな存在が生まれるとして、僕らはそれにどう対処すべきか。そんなものに答えなんかあるわけはないよね。つまり、人間の営みというのは答えのない、ハプニングの連続であり、それを乗り越えることが人間の役割であり、存在意義であるよね。だから、絶望は人類を絶滅させるには至らないんだと。

この映画に込められたメッセージがあるとしたら。あるかどうかはしらないよ?でもそれを考えることが自由だってことが物語の受け手の特権だから、考えてみるわけです。そうすると、人間とは、結局のところ、個の力の集積でしかないということなんだろうと思ったわけです。だから大事なのは個の力なんだよねってこと。きっとあの絶望を希望に変える。それは、単なる集団の力ではないよね。

この映画が集団集団と言われることにはとても違和感があって、人間と働き蟻の違いはそこなんだよ。一人が最善を尽くしてなお、人智が及ぶかどうか定かではない。であるならば、一人が最善を尽くせない存在であれば、集団であっても何事かを成し遂げられるわけがないよね。って意味では活動の障害になっているプロセスですら、人智の積み上げであって、作中で否定しているにもかかわらず、その存在意義を認めざるをえないというものなんだよな。それは誰かが作り上げてきたものだよ。ルールとは人間が創りだした最も役に立つものであり、役に立たないものであるというかね。その矛盾の塊が、実のところ人類の英知を呼び覚ますトリガーではある(ただし、引けるかどうかわからないものだが)。

集団の力とは結果論でしかなく、この映画の主役はあくまで個である。まあ自衛隊は個でもなく集団でもなくシステムを感じたけどね。自衛隊がシステムである以上、コントローラーはあくまで文である、というところ。

ということで、純粋にエンタメとして考えた場合に残るもやもやはある。というか、あんな巨大なモニュメント残すエンタメもないだろうと。そういう点ではさ、在来線が!建機が!みたいなところで盛り上がっちゃう人はそうそういないだろうし、なんというか、ちょっと地味すぎたというか、いやいやもうちょっとまともなギミックあるだろ米軍も来ているわけで的なね。あーあと丸の内周辺の障害物かたしとけよ的な。

総括すると、非常に面白かったんだけど、パニック映画としては中途半端、ホラー映画としても中途半端、アクション映画としてはまあまあ、日本礼賛映画としては機能が足りない、シミュレーション映画としては設定は甘め。音楽はエヴァ知らなきゃOK。知ってたら諦めろ。

ま、色々考えることの出来る自由度のある映画でしたってことですね。でも暴れたりないよね、ゴジラ。