novtanの日常

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セクハラの許される時

端的にいって、「デメリットよりメリットが大きい」ときに、社会的不正義は時として見逃され、あるいは許容されるんだよね。
セクハラの件について言えばまさしくそれが表出していて、いやらしい話になっている。

かつての、特にある種の業界における「クローズド」な空間においてはセクハラというのは正義ですらあった、というのはわかる。metooの話だって結局のところ、オープンにすることのハードルとリスクが下がってきたことがいわゆる「デメリット」を減少させた結果の出来事ではあり、早い話が、「正義を遂行するコストが下がった」ということにほかならないよね。だからといって、その正義をなす主体が絶対的正義ではありえない以上、その正義ではなく、主体についても「正義の的になるコストが下がった」とも言える。

つまり、「石を投げるのは簡単だが罪を犯したことのないものだけしか投げられないリスクは高まっている」というのが今のウェブの状況とも言える。ここでの問題は「罪」には等級があるってことだけどね。

「あいつは嫌いだが告発は支持する」というのはその点を踏まえた話ではあって、つまりそれは、より巨悪を糾弾するためなら多少は目をつむってやる(ただし許してはいない)という、至極当たり前の思考様式の一つでしかない。もっというと、構造的には冒頭の「デメリットよりメリットが大きい」という構図にほかならない。すなわち、こういった留保付きの正義の執行においては根本的な構造が悪徳と変わらないという皮肉的な構図があるんだよね。そういう問題を多少なりとも軽減するのが過去のあやまちを悔いる行為であり、決して開き直ることではないんだけどねえ。この構造を維持し続ける限り、行き着く先は「状況によってはセクハラは許される」という世界の保存でしかないと思うんだけど。