novtanの日常

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Hagex氏の訃報とネットへの向き合い方について

なんというか言葉が出ない。氏への言及は以下各位のエントリでおおよそ言い尽くされていると思うので、割愛する。何かが書ける気はしない。

やまもといちろう 公式ブログ - Hagexに王様はいなかった - Powered by LINE
hagex氏のこと - Everything you've ever Dreamed
「ネットウォッチャー」Hagex氏の訃報に際して | @raf00


一つだけコメントしておくと、氏のスタンスは不正、理不尽による犠牲について、少なからずやられる方への迂闊さなどに対する厳しい目線がありつつも、騙したりすることへの明確な否定に立っているという点について大変共感していた。

さて、僕が考えるべきなのはid:zaikabouさんによるこのエントリについてだ。感情の整理がつかないのでこのエントリの大部分は単なるポエムである。例によって事実関係については主観以外のエビデンスはない。
zaikabou.hatenablog.com

古式ゆかしいネット作法、というのははてなにおけるモヒカンとはなにか、という問題にも繋がる話だが、いずれにしても僕の知る限り、ネット黎明期(ここでいう黎明期とはインターネットそのもののことではなく、世紀をまたぐタイミングで起きた爆発的な広がりのこと)で発生した「事件」についてはS県月宮だってそうだけどさ、現実に地続きでなかったことなんてあまりない。僕の所属した最初のいわゆる普通の友達以外のコミュニティはパソコン通信(後に色んな意味で新聞沙汰になった人のBBSにも所属していたことがある)だし、ネット時代で友人が増えたのは「ゲーセン(音ゲー)を通してつながったリアル&ネット友達本名不明」だ。そういった場において、向こう側の顔が見えないことはない。一方で、顔が見えるからと言って常に仲良くするなんてことはなかった。ケンカ(殴り合いという意味ではない)は日常茶飯事だったし、誰が誰と別れ話でもめてる、なんてことはよく聞いた。
そうでなくても(僕が後年聞いたところによる)「界隈」ではむしろネットが従であり、トラブルは常に現実で起きていた。そして、現実のほうがもっともっと殺伐としていたと思う。ただ、そういった問題は基本的には知り合いの中でのトラブルに閉じた話である。

初期のネットユーザーがそれでも平然として殺伐とし続けられていたのはそういったことにリアルで慣れていたということももちろんあるけれども、逆にそういったところとは切り離された場としてネットを位置づけることもできたからだ。自分をいかに自分自身のコントロール下におくのか、ということが唯一の問題でもあった。

そのときに比べて、今のネットとリアルはどうつながっているのだろうか。ネットウォッチの業が深いのは、ネットがなければ可視化されなかったであろう人間のダメさ加減をあげつらうことであるけれども、これは現実との地続きという点では私小説家が書く知り合いの話に近しい。その程度であろう。世の中の創作物(ノンフィクション、エッセイ、ことによると新聞記事ですら)における、揶揄やあげつらいの多さは特にネットウォッチ的な行為がネット特有のものではないことを物語っている。それは必ずしも悪意によるものではない。

思うに、承認欲求という言葉が一般的になり始めた時期に、そういった話とは全く別個に、ネットの闇は深まっていったのではないか、と思っている。もっとも、その前兆は我々ネット老人では計り知れないところ(プロフ等)で既に発生していて、SNSの一般化によって爆発したんだと思うけれども。ともあれ、クソみたいな罵倒論客(自分だって相手から見たらそう見えるところはあるだろうが)とのやり取りがすっかり止んでしまった現在において、そういったフラストレーションが可視化されることは直接的にはなかったりする。名誉毀損だヘイトスピーチだなんて話はこういうことにおいてはバカバカしい限りだが、それがバカバカしいという文脈が共有できなくなっているので仕方がない。

バカバカしい、ということについて向き合うことをしなかったのが、今回の事件の遠因ではないか、と、今になっては思う。

僕自身、はてなーとしての友人の何人かには直接あったことがあるけれども、ブロガーとしての肩書を元になにかの活動を行う(例えば本を出す)というようなことについては僕自身はあまり積極的に考えたことはない。同じ立場の人が企業サイトに寄稿したりする。これは誰かの承認欲求を刺激しやしないか、なんてことは考えたりもする。イベントに参加者としてこっそり参加することはあるだろうけど、登壇するなんてのはもってのほかだ…そもそもその手のイベントが成立するためには切込隊長がやまもといちろうになるくらいの覚悟が必要だと思っていた。

しかしね、その危うさが、こんなダイレクトな形で問題を起こすなんて、戦慄するしかないのですよ。

自分は業を背負うということが重荷だった結果として、ネットからリアルに出ていく活動はあまりやらなかった(MIAUに軽く参加した時点で難しさを感じたりもした)。それでも業は背負っているし、その業は必ずしも筋が通ったものではない。低能先生(誤解を招くといけないが、「低能」とは彼の口癖というかコメント癖でしかない)自身への言及は行ったことがないがそれでも彼が憎悪するたぐいのブコメが見つかった暁には漏れなく強度の強い罵倒を受けていた(その事実は彼の罵倒はアカウントが消えることによってほぼ他人に可視化されることがないため他人には見えないだろう。メールの履歴を漁ればはてなからの通知がいくらでも残っている。「集団リンチ好きのゴミクズが言うと説得力あるなwww 早く死ねよ」大体こんな感じだ。

ネットに何かを書くってだけで業を背負う、という考え方はおよそ一般にはなじまないと思う。仮に自分は正しいことを書いていたとしても、例えばそれが結婚の喜びを書いただけで結婚できない人の業を背負うというのが「ネットというもの」なのである。いや、それは社会というもの、ではあり、同調圧力によって「守られていた」だけのものであり、ネットとは同調圧力に「反抗することが可能であるもの」であり、業が呼び寄せる刃が増えただけのことであって、それは現実に刺さりうる。それだけのことだ。