novtanの日常

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適切な努力とはなんぞや問題

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まあなんというか、僕自身はわりかし不適切な人間なので、不適切な行動をし、不適切な努力をし、不適切に仕事をしてここまで来たんですよね。人生無駄の塊。もっとも、無駄こそ楽しいんだけど。

といっても、僕はわりと勉強とかはする方で、しかも横道にそれることが多くて、苦手なことよりも好きなことが大事なので無駄な努力が多いタイプなんだろうな。量でごまかすぜイエーイでも眠いぜ寝ちゃえ的な。

ともあれ、人生も40年位やっていると、無駄な努力の結実がありまして、全ての無駄がだいたい血肉になっているという感覚はあるわけです。これはどういうことなの?

つまり、無駄、あるいは不適切な努力、というのは極めて短期的な評価でのみ問題視すべきなんじゃないかな。明確な目標、というものに対して適切な努力、というのはあると思うんだけど、自分自身の人生を振り返ったときに、明確な目標が本当に適切な目標か、ということには常に懐疑心を持ったほうがよいのではないか、とすら思いますね。

最近だと真面目なやつほど「バグが出たんですけど原因わかんないくて週末暇なんで調べときます」みたいなこというのですが、それも目標設定が「眼の前のバグを潰す」という間違った努力(ただし、目標に対しては正しいとも言える)のネタになってしまっているんだよなーとか。そんなこといいので休日に勉強する気があったら言語仕様の本でも読んどけ(これが真の効率化につながる)とか思ったりね。

不適切な努力のよくないところは、それが結実するかわからないってことだけどね。