novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

リスクゼロを求めている人はそんなにいない

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まあここに書いてあることはおおよそ正しいと思うんだけど、「リスクゼロ」という言葉は独り歩きしているように思える気が最近してきました。リスクマネジメントという考え方についても理解できない、理解していない、というより理解する気がないというのが真実なのではないか、もっというと、「俺に火の粉を振りかけるな」ということに過ぎないんじゃないかということなのではないか、と。つまり、世の中には無能が多いという身も蓋もない話です。

そういう眼鏡で世界を眺めていると、ゼロリスクやリスクゼロという言葉は単なる象徴に過ぎない、ということがよくわかります。とにかくリスクという気持ち悪いものを保有していたくない、という気持ちがそう言わせているだけですよね。生きているだけでリスクがあるというのにね。

そもそも実はリスクを気にせず好きにしたい、という欲求を大抵の人は持っていると思うんですよね。このあたりは普段は理性で抑える代わりに冒険者やらノワールやらヤンキーもののフィクションが幅広く許容されるわけです。リスクをガチガチに管理する人が大半の世界でリスクを取る人は結構な確率で成功者になるということもあり、「リスクを取らないからには徹底的に取らない」という心理も働きそうですよね。リスクを取らないことの理由付けが難しくなるから。この手のバイアスが働いている中でリスク管理をする、ということはリスク管理をしていない、お題目としてのリスクゼロ(実際のところ、ハイリスクを選択することが多くなりがちな)を求めている人たちに「そんなリスクを保有するなんてとんでもない」と言われがちなんだろうと思います。知らないリスクはリスクではない!ゼロリスク!であれば無知であればあるほどリスクが低減されます。これが新世代のリスクマネジメント…
かくして、リスクゼロという言葉とは裏腹にハイリスクの道を邁進することになります。これは容易には転換しづらい社会の摂理です。この手のパターンに一番有効なのは、その道を行く人が次々と地雷を踏み抜いて危険な道だということが明らかになることなので、安全な道に大して「この服を着ていれば地雷が回避できる。みんな着ているから爆発しないんだ」という商売の嘘を見抜くことができなくなります。行くも地獄、行かぬも地獄、リスクゼロの道は現金で舗装されています。

おかげさまで、金融業界などの人たちはITにたんまりお金を払ってくれます。じゃないとほら、PayPayみたいになりますよ、的な。最後に残るのがPayPayだとしても。