novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

今はもう、低俗という定義がゾーニングしてくれていた時代ではないよね

この件が色んな意見を呼んでいる、ということそのものがまずもって違和感のある事態な気がするんだけど、昨今のウェブのいろんなアレ、ということを考えるともうそういうものとして考えるしかないのかなーと思ったりはする(超曖昧)

togetter.com


えーと、僕自身はこのマンガはありきたりなテーマをありきたりな表現で書いているように思えてあまり関心はしなかった(単体で見てどうかというと、よくできているとは思う)。で、いまさらこの手のわりかし非現実的な舞台設定を現実になぞらえて問題視するような人がいるとは思ってなかったんだけど、こういうマンガが「話題になる」というのはそういうものに目くじらを立てるような人にリーチする、ということでここ最近とみに思うウェブの最大の欠点を体現した一つの事例だよね。

こういった問題は、ウェブならではの問題でもある一方で、いわゆるサブカル系の文化的地位向上に伴う副作用でもあるかな、と考えることもできそうだ。もともとマンガなんてマンガであることそのものが低俗な空間を持っていたわけだから、表現が低俗であったり、非現実的であったりすることに誰も違和感を持っていなかった(というのはきっと違うのだろうけど)し、低俗であること前提で制限(というか非評価化)されていたわけなので、そういった大きな文脈なしに「感動する」「泣ける」「考えさせられる」「わかりみが深い」というような評価だけが話題になると当然文脈の読めないアホがカウンター言説を振り回してくるようになるわけ。
でもそれって、マンガがメインカルチャーと位置づけられる昨今においてはある程度仕方がないことなのかもしれない。まだこれが書店の時代であれば、レーベルでの区別みたいなものも効いたかもしれないけど、今や「いやそれSPAだし」も言い訳にならない時代なので難しいかもねーとなると表現において瑕疵(と言ってしまうと正解なんてどこにもないので困るんだが)のあるマンガがそれ以外の部分(いやそれそのマンガのメインテーマだから)で褒め称えられることを制限される世の中になるのかもしれないよね。

いやいや、「俺は好き」でいいじゃん、とは思うよね。なんで「俺は嫌い」は社会的なアプローチで問題化させられるのに、「好き」は好きって言うしかないんだろうね。真に価値のあるものだけを選別したいというわけではない以上、好きなものをカジュアルに好きということで十分じゃないか、と思うのだけど、「この部分はちょっとおかしい」ということで好きという自分の気持ち自体に価値がないかのように批判されるのはちょっと何言ってんだかわかんないよね。

外国人の子供にとって醤油の匂いは嫌いか違いか的な話も話題になったけどさ、多様性の中に生きる僕たちに必要なのは、内心はどうあれ、その「嫌い」って本当に言わなきゃいけないの?言うにしても「だから存在自体に価値がない」という勢いは必要なの、ということをちゃんと考えようってことだと思うけどね。