novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

スポーツと、青春と

わたくし、吹奏楽部でかつコンクールにでないという緩い(というのは結果を求めないという意味でしかないが)部活をやっていたので、甲子園に賭ける熱い想い、みたいなものは感覚的にしかわからないものですが、日本人男子の必修科目としての「スラムダンク」を読んだ人は「将来とか理性とか関係ないときってあるよな」という人間の業的なものを理解不能とはなかなか言いづらいと思うんですよ。

本来、ここでの当事者は高校生たちで、そこに大人がどう関わるか、それも指導者という立場で、という話なんですよ。だから、当事者が決めたことを大人がルールを逸脱していないかを考える、というのが正しい形。

でも実際には周囲の大人が物事を決定することが多々ある(それも、親でも先生でもない人達が)というのが問題なんですよね。「甲子園に行く気がないのか」なんてことを外野が平気で言ってしまう。行きたくないわけないじゃんwww
(実は、スカウトとかは行ってほしくないってパターンはあるかもしれないけどw)

吹奏楽コンクールだって似たような世界であって、あれが本当に音楽のためのなにかなのかを疑うときもある。とはいえ、こういう「ヴィルトゥオーゾ」的なものを持て囃すのは欧米でもまあまあある世界ではあるし、芸術を突き詰めるのかエンタメを突き詰めるのかの違い的な部分もあり、必ずしも否定する必要はないんだけど(当人の意識と噛み合ってないことは問題ではある)。音大生ですら、音楽ではなく楽器をやりに来ている人口がそこそこいるわけだからな。

甲子園に出場したら、とりあえずプロにはなれる、という世界だったら話はぜんぜん違うだろう。野球が個人のスポーツだったら話はぜんぜん違うだろう。プロになれないだろう野球部員が、プロで活躍する才能を持った人と一緒に甲子園を目指す、というのがまあまあいびつな世界ではある。周りの部員の夢は甲子園かもしれないけど、さて、その才能を持った人の夢はなんだろうか。甲子園?だったら行くしかないじゃない。

当事者の本音が甲子園なのか、それが将来を犠牲にしても達成したい目標なのか、なんてのはぶっちゃけわからない。超大型高校生左腕は野球は高校生まで、と思ってやっているかもしれない。金=ドリームでなければ、活躍できるかわからないプロになるより本当にやりたいことを目指すかもしれない。

全部、かもしれない、なんだよな。

大人の役割は、子供の可能性を犠牲にしないことだ、とは思う。プロで活躍したい、という夢がある選手を大人の都合で壊してしまうのはそういうことだ。大人の都合じゃなくても、子どもたちが間違った決断をしようとしているのであれば、それに介入するのが大人の役割だ。

一方で、子どもたちの想いを全く無視して上からルールを下ろしてしまうのも、大人の役割としては手抜きがすぎると思う。決断と責任を負うのは当然としても、その過程を全く子どもたちと共有しないのであれば、それは「大人の都合」の押し付けに過ぎない。高校野球という「部活」のあり方として、そこが今回いちばん問われるべき点なのではないか、と個人的には思う。

こういった「部活」というもののあり方は、昭和の時代からものすごく変動しているものの一つだとは考えている。娯楽の少ない時代において、高校野球ってのは一つの大きな娯楽であったのは確かだし、地域のコミュニケーション含めた大きな活動であったのも確かだと思う。
でも、プロ野球選手ってのは一種のステータスではあった一方で、めちゃめちゃ稼げるわけでもなければ、プロになったところで目も出ず歴史にも残らず消えていった選手もたくさんいた。それは今だって大きく変わってない部分はあるかもしれないけど、少なくともトップレベルが生涯稼げる金額は昔の比ではない(メジャーに行ったら尚更)と考えると、プロになる価値ってのが増大しているのも、こういった問題と無縁ではないだろう。変な話だけど、選手を金に変える、優秀な指導者であればあるほど、甲子園そのものはどうでも良くなる、という傾向が出てきたときに、甲子園を目指すという高校球児の夢は変質するのか、ということ。もしかしたら、プロを目指さない者たちの祭典になったりするんだろうか(サッカーも高校サッカーとクラブユースで温度差が出てきているよね)。

僕はこの話は子どもたちの可能性を周りの人達が積極的に潰すな、という話ではあると思っている。「甲子園までだったらなんとか行けるかもしれない」というくらいの才能を「ルールで連投できないので2回戦で敗退しました」みたいになるのが本当に楽しいのか、という点では1試合あたりの負荷(1回戦とか3回までくらいでもよいのでは、とか)を減らすべきだと思うし、炎天下に連戦させるのもおかしいと思うし、そういった部分がクリアできるのであれば、連投制限なんてしなくてもよいんじゃないかなあ。
才能を潰すことに文句を言っている人たちは、そこまでの才能ではない人たちの青春の活動を軽視しているようにも見えるけど、そこに線を引くのがとても難しい、というのもわかる。だから、こういう話は監督の決断みたいなものに依存するような委ね方をするのではなく、仮に一人の才能だけが甲子園に出れるファクターだったとしても、無理なく活動できるような大会運営をすべき、ということに尽きるんじゃないかなあ。