novtanの日常

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社会的リソースの減少による姥捨山の肯定について

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この件のブクマに割と「そうは言ってもリソースが足りない」というたぐいのコメントが結構付いていて、希望は戦争どころじゃないよなあと思った次第。つまり、姥捨山と間引きの話をしている人がたくさんいるということだ。確かに日本の経済は斜陽を迎えているのは間違いないけれども、経済より先に精神(しかも、ブクマで遊べる程度には困窮状態にあると言えない人たちの)が摩耗しちゃているのが日本ヤバいの現状なのではないか。

そりゃね、リソースは足りませんよ。大多数の人が人並み以上(この時点でおかしいが)の生活を「維持」するためにはね。リソースが足りないという人は「自分の現状の生活については維持する」ことを前提に話しているよね。もちろん、維持できるに越したことはないんだけど、維持できなくなったら姥捨山を選びます、そう言っているってことだよね。ほんと?今そういうステージなんだっけ?

政治家として命の選別を迫られる、ということはあるかもしれないし、その答えを持っておくことは必要なんだろうけど、じゃあ、今現在の状況において躊躇なく命の選別をすべし、というのって、障害者施設に殴り込んだあれと何ら変わらない思想としか思えないよね。なんでお前は障害者を殺しに行かないのか。そりゃ自分の手を汚したくないからだろうね(しかも犯罪になるからな)。だから、合法的にそれをやろうということを志すってこと?

リソースの問題はそれはそれとして重要な課題なんですよ。でも、その前にまず人としてどう考えるべきかの軸が後退してしまったら頑張ってアップデートされてきた現代の倫理は崩壊するわけだし、その状態でなお自分が守られる側でい続けられることに自信が持てるのかってことですよ。ここでカジュアルに賛同している人って、いざとなったら姥捨山を選択「させられる」側の人間(そうじゃなければ、自分は金持ちだから関係ねーやっ人だよねえ)であることに気づいているのかな。気づいていてそう言っているのであれば今すぐリソース減らすって選択を自分自身で試みても良いくらいだと思うよ。