novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

抑圧されていることを声高に訴える人はそんなにはいない

声の大きい人が訴えることが自分の不利益になりそうってなったときに、面と向かって対抗言論をもって立ち向かう、なんて人は実際にはそんなにはいないよね。自分にとって不利益かもしれないけど、社会にとって進むべき方向性なのであれば、我慢しよう、と思っている方が自分の利益を守ってわーわー言うよりは「良識がある」と見なされがちだし、実際にそれが社会のあるべき姿に近づく方向性だったらまあしょうがないわけで、反論せず胸のうちにしまい込むわけだ。

これはある種の抑圧ではあるものの、社会の発展のために「我慢しよう」って思っているわけじゃないですか。だから、そうやって主張している人が規制をしたがっていたりするものと同種のものを「いやこっちは良いんです」と言い出し始めたら「我慢をしている俺は何なの?バカにしているの?」って思うのは当然なんだよね。しばしばこの手の話はダブスタ批判と混同されるんだけど、そうではない。ダブスタよりももっとひどい、正しさへの裏切りに対しての感情なんだと思うんだよ。お前が正しいことを言っていると思ったから俺は我慢した。だがお前のその相反する主張は一体何だ、ってね。だったら俺も我慢しねーぞ、とね。

で、いきなりそのことを主張し始めるから急におかしなことを言いだしたように見えると思うんだけど、真面目な話、(ちゃんとした)ネット論客(であれば、これまでの経緯も含め順を追って説明するかもしれないけど)じゃない人の主張ってそりゃ急に見えるよねってことであって、そのことをことさらおかしいと言ってもやっぱりあんまり何も進まないわけだ。

だから、客観的に見てダブスタに見えるような言説ってのはたいていこういう構図を持っていて、敵を作りがちであり、なんの留保もないと多数の人に裏切り感を与える、ということになるのでやっぱりダブスタはあんまりよろしくないのだ。