novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

恥という概念がもう少し社会的に重要であるべきだと思う

みんなは覚えているだろうか。伝説の「鳩山対鳩山」という動画を。

ネット10年選手なら絶対覚えてるよね。

ぶっちゃけ、今、ガースーが直面しているのはアレであるわけなんだけど、不思議なことにそういう方向に行かない。いや、不思議でもなくて、令和のこの世の中であれをやったら流石にモラルが問われるだろうね。でも、そういう揶揄に対しては妙に厳しいのに、その理由である言説の一貫性のなさに対して甘っちょろいのはやっぱり民度の問われる話だろうし、普段民度民度いう向きの人たちがそういうことに目をそむけてるのはやっぱり気になる。

ともあれ、「厚顔無恥」であることは政治家の美徳ではないと思う。むしろ恥を知ることこそ政治家の最も必要な資質だろう。時には倫理的に正しくないことをしなければならないのが政治家だと理解してればなおさら、それが開き直りによる正当化で片付けられてはならないと思うよね。仮にそれを墓場まで持っていくのも恥を知ってこそだろう。

でもさ、最近だと例えば「恥ずかしいからやめなさい!」という言葉に対しても「恥ずかしいからじゃなくて正しくないからだろ。叱り方が間違っている!」みたいなことをよく言うよね。でも、正しさという、外部の判断基準を元にしていて、かつ、時代によって変動しうるものを絶対的な価値観として行動規範にするのって実は良くないことなんだよ。自分の中に一つ軸を持つとしたらそれは論理じゃなくて倫理であるべきだし、それを貫き通した人に対して「馬鹿なことをしたよな」と評するのは実に狭っ苦しい精神だと思う。「恥ずべきこと」を規定して行動規範を作ることは基本的には良いことだと思う。仮に自分の倫理に抵触したことをやらざるを得ない場合も、社会的には正当化されるとしても、自分の中では正当化できないということを抱えながら行っていくことは人間としての基本的な動作であって良いと思う。もっとも、それが故に自殺を選ぶ必要がある、ということはなんとかなるべきだとは思うけれども…