novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

これから道徳のお時間です

例えば、仕事より家族を大事にすべきだよね、という言葉一つとっても、いろんな「なぜ?」があると思う。家族で食卓を囲むべきだよね、と言い換えると、もっと考えることがクリアになるよね。なるほど、9時5時で土日祝完全に休み以外の仕事は家族を尊重していないのか。そんな訳はないよな。家族の有り様は色々あるし、自分の価値観を大事にして行きていくことも大事だよね。家族がその生き様を認めてくれるのであれば、仕事に人生を尽くすのも悪くない。家族が犠牲?いやいや、その姿をみて成長していくのも家族のあり方だよね。

何が正しいのか、決めるのが容易ではないことはたくさんある。生き方なんてのはそれの最たるものだろう。だけど、個人の幸福にフォーカスしすぎると社会に対しての向き合い方は変わってしまう。だから、社会における生き方像みたいなものはある程度は限られてきてしまう。稀代の犯罪者を目指す、なんてのは少なくとも社会に対して背を向ける覚悟なしには決断し得ないものだろう。

なので、社会を成立させるためにはある程度の幅で(これ大事ね)、価値観を共有することが必要だし、それを機能させる装置が宗教だったり、道徳だったりするよね。

ただ、震災のときに節目があったんだと思うけど、道徳みたいなものが何故か「人間の生き方を縛るネガティブなもの」として取り扱われることが増えたように思う。自己犠牲の精神などが必ずしも良いものと思わないし、それを押し付けられることは犯罪だと思うけれども、一方でそういったことを自分の規範とし、生き方や死に方を考える人がいる事自体は良いはずなんだよ。でも、それを良しとしない人が何故か他人の生き方に口を挟むんだよなあ。