novtanの日常

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テロを抑止するものはなにか

サイボウズ社長のTweetが話題なんだが…

まあ、発言の骨子だけは大きく間違っているとは思わない。けど、ちょっと雑なのは個別具体的な事例を抑止できると言っちゃってるところだよね。テロの抑止って確率的とは言いづらいけど、ある意味不発弾の爆発に近いものがあって、適切に撤去したり措置すれば爆発確率は下がるけど、ちょっとした偶然で爆発することもあるよね、という類のものだよね。

さて、ネットにおいて比較的多く言われるのが「原因を追求することはテロの主旨を肯定することになる。すなわち、テロに効力があることを認めることになるのでテロ自体を否定して主張は徹底的に無視するべきだ」という論理。でもちょっと待ってほしい。主張の内容がテロに訴えたから(絶対に)不当で、テロに訴えなければ正当(な可能性が)ある、なんてことは論理的にありえないよね。手段としてテロを行ったかどうかは主張の内容とは独立しているのであるから。

なぜ「犯人はテロという手段を講じたのか」について分析的に論ずるのは国家の安全保障としては必要なことだし、その一部として「犯人はテロという手段以外でその主張を行おうとしたのか、なぜ最終的にテロという手段に至ったのか」を分析することも大事だよね。なぜこのことを分析することがテロの助長に繋がり、無視することがテロの抑止につながるのか、僕にはさっぱりわからない。

ここには現代社会の病理がちゃんとあると思っている。その最大の問題が「無関心あるいは無視」であると僕は考えています。一個の人間として抱えている問題について誰も関心を持たず、誰も解決してくれない、言葉で訴えかけても何も起こらない、となったときに個人が取れる選択肢ってのはなかなか少ない。

政治の機能の一つに「耳を傾ける」というものがあるけれども、おそらくここ10年くらいの国会などにおいて、様々な問題(特に個人に向けられた疑惑)についての政治家の態度は大変よろしくない。とてもじゃないけど「世論に耳を傾けている」ようには見えないよね。民主主義の弊害として、大きな問題を糺すのに時間とカネがかかる(議員を全部入れ替えようとしたらどんなにミニマムでも3年ちょっとはかかるし、実際に政権変わるくらい入れ替えられるのはもっと時間がかかるだろう)ってことがある。まあそれを乗り越えて政権が変わるってこともちょいちょいあるけど、それって別に個人が抱える問題を解決するために起こることではほとんど場合はないよね(例えば、カルト宗教撲滅というワン・イシューで政権交代まで持ってかれることはないだろう)。

となれば、やっぱりデモやらなんやらで「世間はこんなに問題だと思っているんだぞ」ということを主張していくのが一つの手段になるんだけど、昨今のデモ、結構な割合で「なかったかのような扱い」にされるよね。なんなら主催者側も「こんだけ集まったぞどうだ」って言っているだけに見えなくもない(参加者水増しとかされると余計に)。これも「無関心、無視」の一つの形ですよ。

つまり、民主主義が機能しているのか、というところに疑問を抱くような状況に見えてきているんですよ。これは良くない。だから「自民党が、統一教会の問題に」なんていう限定的な話じゃなくてさ、政治が国民に真摯に向き合っていれば(聞く耳を持つ態度をきちんと見せていれば)、まだ他の手段で問題を解決しようと思ったかもしれない。だから「どうして日本国民がわざわざ命懸けで犯罪に走るのか。テロが起きる原因からなくしていきましょう。」という事自体は正しいとは思うよ。「自民党が、統一教会の問題に」なんて言っちゃったから全て台無しだけど。

でもね、正直言ってこれは政治家の問題とも言い切れないんだよね。なんだこの前の統一地方選の投票率。こんなんで政治家が真面目に仕事するわけ無いだろ。テロの原因にきっちり向き合えば間接的な原因の一つはそれだって思うだろ。思いませんか?テロダメゼッタイって言ってるやつ全員ちゃんと選挙行ってるだろうな?周りの人も啓蒙しているか?

追記

このエントリは「テロに効果があることを認めよ」という話ではないですよ。どちらかというと「テロしか手段がない」「テロならなにか変わるだろう」とならないように、民主主義が(ある程度は)ちゃんと機能していることを政治は見せ続けなければならないよ、ということです。そこの勘違いが「テロを肯定するのか」みたいな言説に繋がるんだろうなあと思うんだけどさ。
とはいえ、どのみちテロを100%防ぐことは難しい。現代の社会倫理と全く相容れない人がテロ行為をすること自体は事故としては起きるし、日本が相対的にテロが少ないのは武器の入手が限られているから、という特殊な事情もあると思う。であるならばなおさら「現状の社会の行き詰まり」なんてものを理由にテロを起こすことは減らさなきゃならないよね。あくまで「減らす」の手段の話であり、起こしてしまった結果の人をその事情から免責したり英雄扱いしたりは絶対にしないぞ、というのが正しい態度だけど。

もっというと、そういう事情を聞いてしまったらテロを肯定してしまうおそれがあるから「聞かないようにする」ってのはまさに今テロが起きてしまっている原因を繰り返しているようなものではないのかな。つまり、教育とか社会倫理はもう機能していなく、政府による統制社会でしか安全性は担保されない、ということを主張しているように僕には思えてしまうし、それがむしろテロ自体には反対しているどちらかというとリベラルな側からの意見として出てきているのに危機感があります。テロをした人が訴えたかったことに賛同したらその人はテロをするようになる、なんて考えるのは社会のありようとそこに参加している人々に対する侮辱に近いし、実際にそうであることを危惧しているのであれば教育の敗北を認めたようなものだよね。実際のところ、そのあたりをどう考えているのかなあ。愚民どもが間違った行動を起こすから俺たちが統制して導いてやらねば、とか思ってるんだろうか。僕はどちらかというと啓蒙主義的な考え方を持っている(というのは社会倫理に十分性がないと思っているから)し、そのためのベースは科学的、あるいは統計的な事実にしたいと思っているし、そのためには間違った情報は改めたいと思っているし、不都合な事実を「隠すべき」とは思ってはいません。人間の知性と理性を信じて行動すべきだと思っている。テロを起こさない、起こさせないが絶対的なイデオロギーであれば、全市民は24時間監視下におかれて行動が制限されるのが一番だよね。そうじゃなくて、テロを起こす余地を残していても個人の一定の自由は守られるべきだよね。そういうところを突き詰めていったときに「テロリストの思想」に共感するだろうから詳らかにすべきではない、なんてのは詭弁でしかないんじゃないかと思うんだけどね。
(一部の人が言っている「手段などについて詳細に報じる必要がない」についてはそのとおりだと思う。本気でやるなら報じなくてもやるだろうけど)