novtanの日常

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1975年生まれのPCゲームに対する証言

東京育ちです。

coziest.net

これを受け手の話。

僕らの世代は「家にゲーム機がある」最初期の世代だとは思う(実際にメインなのはもうちょっと上の年齢層からだけど)。ただ、その時期は小学校3年生くらいなのでそれまでゲームと言えば、おもちゃ屋、駄菓子屋、ボウリング場にあるアーケードゲーム(エレメカ含む)と、ごくごくたまに(旅行や待ち合わせで)親と一緒に入る喫茶店のギャラガ(もうインベーダーではなかった)。特にボウリング場は通っていたスイミングスクールの2階に入り浸っていた(見てるだけのウザガキ)。ちょっと年上の兄弟がいる家にはスーパーカセットビジョンがあったりした。セガもあったかもしれない。

で、ファミコン。1983年。

うちはファミコン買ってもらえなかったんだよなー(今思うと正しい)。そのかわり、友達の家でやりまくっていた。ドラクエは1986年、つまり、小学5年生のときの出来事。
とはいえ、家にファミコンがない人間のゲーム欲の解消のためにはそれでは足りない。結果として、「ナイコンでもわかる遊べる(パソコン誌テクノポリスが謳っていたフレーズ)」なエリアに踏み込むことになる。まあ、ゲーセン(は怖いので駄菓子屋)と雑誌だよな。流石にブラックオニキスは視界に入っていなかったけど、ファミコンには来てないゲーム会社の巨塔として、日本ファルコム(ドラスレ4が1987年で初かな?硬派なゲームを期待していたので肩透かし…と思ったら超硬派だったが)とT&Eソフト(ハイドライド・スペシャルが1986年、ドラクエと同じなのが意外)、ザナドゥができない、ハイドライドもできない、夢幻の心臓もできない、ウィズにはその時点ではあまり興味ない、ウルティマはよくわからない、という状況で出たのがドラクエなんですが…

うん、まあ面白かったよねドラクエ。はなす→きた(上下左右じゃないのがなにげに面白い)。

アーケードのがっかり移植に食傷(全部友達の家でだけどwww)していたので余計に新鮮ではあった。これはRPGかー

ただ、依然として、ゲームアーツ、工画堂スタジオ、日本テレネット、マイクロキャビン、システムソフト、デービーソフト、etc...のソフトはあまりファミコンでは出ず(がっかり移植も多かった)のでパソコンゲームへの憧れは常に存在したよね。

ところで、ファミコンのない我が家も中学になったらMSX2が導入された。アナログRPG31ピンである。横80文字なのである。にじまない。それはさておき、ここまでに溜まりに溜まったPCゲーの耳学問が一気に花開くわけである。ザナドゥできないけど。ザナドゥできないけどさ…でもイースはできるんだよFM音源最高だよ。MSX(1)を持っていた友達からテープデッキ借りたりもしたよコナミのMSXゲーム最高だよ魔城伝説2とか夢大陸アドベンチャーとか。MSXはROMカセットなのでロード時間が少なくて最強だったよザナドゥできないけど。あとソーサリアンもできないんだけどー。88MarkⅡSRへのあこがれが最高潮にあったのがこの時期。
※ザナドゥのMSX2版は1987年にはあったっぽい。記憶違い。でもやってないのでなにか理由があったはず。予算とか。

一方で、ファミコン。誰かも言っていたけど、やっぱりミネルバトンサーガが最高に面白かったわけで、ファミコンオリジナルだからといって低く見ることはなかった(がっかり移植なんかより良いよね)。

ドラクエ(とファイファン、とあえて言おう)が僕らの世代のRPG観に大きな影響を与えたのは間違いないと思う。一方で、それ以外のものが与えてくれたものも同じくらい、あるいはそれ以上に素晴らしい体験だったことも間違いない。