novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

全員の意志を実現はできないけど

本件、基本的な事項のまとめとしては以下のエントリが冷静だと思う。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

この話については、明確な答えは出しづらい。というか、白黒つけるのであれば白であることは(現状の社会通念上)ほぼ間違いないと思うんだけど、それは別にゴールではないんだよね。

で、この、現状の社会通念というやつがやっかいな代物で、わいせつ物の事件においても、ヘイトスピーチの事件においてもそうだけど、ある程度の判断基準になっていて、これは憲法ができた直後から今に至る社会の中で大きく変容しているよね。

どういった表現なら社会的に許容されるか、という問題については今までも多くの議論が起きて、多くの判断が下され、長い時間をかけて変容してきているけれども、現時点で白であっても、声を上げるというのは良いと思うわけですね。ただ、この話は表現の自由への制約という文脈とは違うと思っていて、公共空間にどういう文脈で何を提示するのかが相応しいのかの問題でしかないはずなんだよな。だから、これを表現の自由に対する挑戦として話をしている人はどっちの側でもちょっと戦線を広げ過ぎなんじゃないかなと思う。

最初の環境型セクハラという問題提起もそういう意味でちょっと急進的過ぎるのではないかと思う。もっとも、急進的過ぎる事自体が悪いことではなくて、批判や議論を巻き起こすには良いことなのかも。だけど、その論点に固執してその論点で勝敗をはっきりさせようとする人たちはそんなあっさり社会が受け入れてくれることを期待してはいかんと思うよ。

こういったものに対する議論ってのは価値観に基づく部分が多分にあるし、議論そのものが社会を変えることは難しいけど、物事が整理されて運動につながっていくようなことがあればよいし、そのための土台として重要だよね。勝った負けたの話になってしまうのはどうしようもないところはあるけれども。

エモめのエントリの読み取られ方について

いやね、単に感傷的なことを書こうと思ったわけですよ。

novtan.hatenablog.com

こういう、ある種の価値観の提示ってのは当然対立する価値観があって、こちらの価値観を感傷的にいえば言うほど批判めいた言葉に近づいていってしまうのはまあしょうがないのかなあと思いつつも、もうちょっと書き方はあったのかもしれないな。

ともあれ、駅チカに対して実用的な方向で価値を置く人があれほど多かったのは意外ではあったな。そりゃ利便性は高いだろうよ(なのでそこを論点にすると問題にもならない)

タワーマンションと駅徒歩何分のお話

素朴な意識として何度も触れているけれども、東京やその周辺において、「駅徒歩何分」の差異が大きな価値を持っていることが僕にはあまり理解できない。古くからの住民としては駅徒歩何分なんてのは通勤や遠出をするときのちょっとした時間の問題に過ぎなく、そこに住む(というよりは居る)ことはそこに愛着があるというようなものではある。
だから、一人暮らしをしようとして、実家から出るなら駅に近づかないと意味ないよねーからの駅チカ高杉問題という経験を持っている人は多いのではないか。

駅直結のタワーマンションで云々、という広告を見るたびに「へー誰が住むんだろうね」という感想をみんなで漏らしながら、その街の良さはどこだったろうと心を巡らすのだ。

言ってみれば、駅徒歩何分にこだわるということは、都会の忙しさに直結する住まいを選択するということにほかならないのではないか。魂を都会というものに縛られている。でも、同じ街でも徒歩10~20分で見える風景は大きく違うし、それを超えてくるとまた違った風景にもなる。もっとも、昔はそのくらいの地域に必ずローカル商店街が合った。今でも少し残っているところはある(住宅街の中に突然何件かのお店が連なっていたら、かつてそこはもっと大きな商店街だったはず)。そういった趣をノスタルジックに感じる住人だからこそ、駅チカにこだわらないのかもしれないけど。

ともあれ、駅チカである、という幻想的なバリューに支えられてタワーマンションは売れていくのだろう。その住人たちは僕と同じ街で風景を見ることができるのだろうか。