novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

1%の成功により全てが報われるという人生は非常に少ない

世の中チャレンジが大事な局面ってのはたくさんありますけどね、成功確率が高い人=チャレンジしていない人と言うのは乱暴がすぎると思うんですよね。何しろ為末氏の言葉はちょっと乱暴で、「例え成功率1%でも、数打てば当たる。そして当たればそれまでの失敗は全て”意味があった”と評価される。」とまで言っているわけですよ。

これってさ、「マンガの主人公がどんな困難のもとでも最後は必ず目的を成し遂げるのはそれが成功例だからである」というような話じゃないですか。大事なのは「当たれば」ですよね。つまり、リスク評価が適切で無い場合、人生そのものが失敗に終わる可能性が高いということです。

スポーツの世界であっても、チャレンジをし続けることが出来るのは一部のトップアスリートだけでしょう。そうじゃない人たちはその後の人生を見据えてあえてチャレンジをしないということもあります。これは何を大事にするかという問題であり、成功確率が高いとか低いとかそういう問題には帰結しないはずのことです。

僕らの業界だと、例えば新しいことに「全員が」チャレンジし続けるというのは好意的に言っても博打であり、リスクからすると自殺行為に等しいという方がより適切な評価です。でも、誰かがチャレンジしなければならないし、失敗もひとつの経験です。ただし、それは会社全体としての行動であって、堅実に稼げる仕事をし続ける人も必要です。そうやってバランスを取っていくのが会社組織であり、その一員としての行動が「チャレンジをし続ける」じゃないからといって何か問題があるとは思いません。むしろ、そういった堅実な世界の中でも失敗はありますから、成功を続けている人というのはよりよい何かを身につけていると思うべきだと思います。成功確率を上げて悪いことがない場合のほうが世の中多いと思いますね。

豪快な性格で無謀なプロジェクトをし続けて、そういうのって成功したときの世の中受けは良いので広告塔みたいになっているけど成功確率から言っても事業貢献としてはマイナス、みたいな人もいますからねえ。これって1%の成功が全てをチャラにしない話です。

為末氏の言葉はわりかし「成功したプロフェッショナル」に当てはまることが多くて、たしかにその考え方は見習うべき点がたくさんありますけど、一般論として敷衍してしまうととたんに問題を生じさせることになるような部分も目につきます。そもそもこの話の出だしも「スポーツをやっていると、結果が全てだと強く思っている人に時々会う」ですよ。そしてそれは基本的には良いことだとも言っているわけですよ。

もっと言うとこれ単に「失敗を恐れすぎるな」と言っているだけなんですよ。うん、それ知ってる。

チャレンジは計画的に。