novtanの日常

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生成AIがもたらす「現実っぽい何か」を我々はどう認識すればよいのか

センセーショナルなデビューを果たした「Sora」ですが、今のところ、「開発チームが生成した動画」しかないんだよね。だから、実際にどの程度の労力であの動画が生成されているのかがわからないので、そこはみんなの期待だけが膨らんでいる状態だとは思う。ただ、この2年位のAI系の発展を見ると、全くのフェイクってことはないんだろうなあと思っています。なぜ一般開放しないかと言うと、倫理が定まってないからではないかという疑いを持っている。なんの倫理かっていうと、AI生成したものなのかどうかが判別できなくなる問題に関するものだ。

今若干怖いなーと思っているのは、AIをビジネスにしたがっている人たちがあまりに無邪気なこと。別に盛り上がりに水を差したいわけではないんだけど、一方であんまりにも何も考えてないとなると、この人たちにこの未来に対して相当大きな影響があるだろうツールを渡して大丈夫なの?って思ってしまう。しまいにゃSoraが生成した動画を「撮影した」とか言い出してる人までいるからな。こういう物事をはっきりと峻別できない人たちがこういうツールを利用することへの危機感というのが常にある。ディープフェイク画像を作るのに相当な労力がかかった昔はそれがハードルそのものになってやる人が限られていたけど、もはやアホがアホのままアホなことをやることに歯止めが効かない状態になりつつあるってことだからね。

この問題に対する、おそらく最も簡単な対処方法は決まっている。「諦める」だ。ここ最近生成AIを活用した非実在ポルノなんてものも大量に出てきてるけど、これはもうそういうものだと諦める。別に誰も被害を受けるわけではないから。それでいいなら話は簡単だよね。もちろん、その中に実在ポルノが混じっていてもわからなくなる世界はすぐに来るだろう。それも諦める。わかりやすいからポルノって言ったけど、ようはすべての映像はそれが仮に信頼できるメディアが流したものであっても「信用できない」ということだよね。
でも、それはそれでよいと考えることだってできる。映像の確からしさなんて、映像における人間の認知能力の貧弱さを考えると今まで信じていたほうがおかしいくらいだ。広角レンズと望遠レンズの映り方の違いですらわからんのだよ?目で見たものなんて、別に信頼できるとは限らないし、それの真実性を判断するには依然として「知識と知性」が必要なことには変わらないのだ。身も蓋もない言い方をすれば、映像メディアなんて過去から今に至るまで、バカを騙すことは簡単にできるものであったと言うだけの話。ただ、それがメディアの手から個人の手に渡りかけている、ということに過ぎない。文章におけるインターネットの存在が、映像における生成AIの問題に変わっただけなんだよ。

つまり、我々が今まである程度信用できるものとしてきた「映像」が信用できるものの座から陥落するということが置きつつある。とはいえこれは困った話で、例えばここ最近進められようとしてきた「取り調べの録画」なんてものも大いに証拠能力を失う羽目になりかねない。現実の映像に真実マークを付けるのか、はたまた、生成された映像に生成マークを付けるのか。それが本当に保証できるのか、ということが整理整頓されて初めて映像についての信用を取り戻せるということだよね。

さて、実際にはまだ「Sora」は公開されてない。世にはすでにフェイク動画自体は溢れているけど、Soraがもたらすクオリティと手軽さ(本当に手軽かどうかはまだわからないけど)がフェイク動画にも革命をもたらすだろうことは自明なので、OpenAIがそこに苦慮しているだろうことは想像に難くない。でも、もうそんなにリアルと生成を峻別できることを僕は期待していないけどね。そもそも映像における「映像そのものの真実性」なんてもの、最初から信じてなかったことに最近ようやく気づいたからね。