novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

リモートワークの導入に失敗するのは「時間に追われる」から

コラム的な話をQiitaに書くなよ、と思いつつ、たしかに大事な話かな。
qiita.com

僕の勤める会社もご多分に漏れず、Office365で働き方改革、みたいなことはやっている。結果として、ある程度うまく行っているようだ。というのは、基本的に「ゆるい」からなんだろうと思う。会議の予定は全部Outlookのスケジュールに入っている。共有すべき情報は好きなときに共有OneNoteとTeamsで提示している。気がついたときに見ればよいし、書けるときに応答すれば良い。本当に必要な急ぎの手続きとかは電話が来る。基本的に社内にはいるけど、社内にいなくても問題なく仕事ができる。社内にいるからといって、無駄に引きずり回されたりはしない。もっとも、簡単な相談とか、確認とかは社内にいて共有していた方が良いし、丸まってしまう報告よりは現場の生の声を聞きに行きたいこともあるので、リモートワークができるからという理由でリモートワークをする必要はない。リモートワークで対応しなきゃならなくなったときとか、一日客先回っていて間の3時間に1時間だけ仕事しに会社に戻らなくて良くなったということだけで仕事の気分が随分楽になるのだ。

これ、稼働の管理とか、成果物の出来高管理とかにつなげてしまうととたんに厳しくなるように思える。だから、正確な進捗管理が「日単位で」必要な仕事には向いていないと思うし、リソースの共有がリアルタイムで行われていないと、まずい状況に気づくことも難しい。でも、そういうことを打ち砕くためのツールはこの3年位でかなり整備されてきたようにも思える。

なので、リモートワークというか、働き方改革ってのは仕事をするってことの概念をかなり変えないと意味がないし、効果も限定される。ぶっちゃけ、今会社でやっている仕事のやり方をそのままリモートでできるように対応します、というのは間違っているとすら思う。

「~の気持ち」はわからなくてよいが、理性があることは信用せねばならない

今更だけどさ、それを前提にしない社会ってのは、いわゆる「そんな格好で出歩いている女性が悪い」世界なんだよ。
ルール(法律)があって、それを守る理性がある、というのがいろいろなものを自由にしているんだよ。

だから、それぞれの内心がどんなに自分にとって気持ち悪いものだとしても、それを理解する必要なんて最初っからない。仮に理解しなければならないとしたら、「規範的な内心」以外は法律で規制すべきだろう。ところで、あなたの内心は本当に規範的なのだろうか。

理性を疑うのではなく、理性を守らせる仕組みを作るのが社会の機能だ。

ところで、そうであるならば本質的には権力による「監視」についても特に問題がない。なぜなら、事が起きた場合にのみその監視は有効になるし、そうでない限り、そもそも誰も「確認しない」し、「目的外の利用はされない」。ところが、現実はそうではないことがほとんどだから問題になる。ドライブレコーダーなんかは自分自身を監視していて、目的外の使用はそう簡単にはされないからこそ、「安全弁」として信用して使っている人がほとんどだ。権力(という言い方が気持ち悪ければ、行政)による「監視」もかくあるべきだけど、なかなか難しいとは思う(主に信用することが)。

だからといって、罪もない他人をただその内心が窺い知れないからと言ってかけらも信用しないのでは社会なんて成り立たない。他人にそう思われて生きていきたいと思っている人なら筋は通っているけど。

あと1年以内にプロブロガーの何人かがボーダーラインを踏み越える

予言エントリです。外れても責任は取らない。

いわゆるプロブロガー(本物の「ブロガー」ではない人たち)の最盛期は2014年あたりだと思っているのですが、ここ何年の凋落ぶりはなぜか。

本当に稼いでいる人は筋金入りのアフィリエイターでほとんど炎上商法をせずうまくやっている人たち。
プロブロガーと言いつつただの邪道な信者商売の人たちは、ブロガーとしては2流だけど互助会的な方向で広く集客している人に比べて厳しくなっているように見えます。それが顕著になったのがこの2年、就職せずプロブロガーになった人たちが教祖力弱く信者のレベルも落ち(そもそのこの商売は信者が「俺もプロブロガーになって稼ぐ!ので色々教えて!」というピンポイントな方向性しかないので、「すごいですね!!」の人は金にならんのです)、早々に脱落していったことからもわかります。

そうすると、少ない(寡占状態なので一人頭はそうでもない)信者に次に何を買わせるか、しか生き残る道はない。で、そこでうまく第一信者そうまで儲かれば「再び(以前はいた)」第二信者層が生まれてエコシステムが回るようになります(一般的にはこれをねずみ講と言ったり言わなかったり)。

ところで、いわゆるブロガーとしての活動ではもう儲からないことがわかっているので、いきおい、古典的な「商品」にシフトせざるを得ません。もっとも、情報商材でそれをやっているわけですから、単一マーケットから多角経営にシフトした、ということになります(一般的にこれを自転車操業と言ったり言わなかったり)。

ところで、投信とか、金融商品とかは銀行法とか出資法とかいろんな法律にがんじがらめで「必ず儲かります」なんて当然お縄頂戴な世界に突入(誰かはしかけてたけど)するわけで、そう簡単に手が出せません。

そこでVALUですよ!!!

はい。おわかりですね。

この流れが続くと当然ながら、一線を踏み越える人が出てくることになると思っています。罪状が詐欺なのか、出資法違反なのか、はたまた他のものなのかはわかりませんが、ぶっちゃけそろそろ信者も目を覚ますと思うよ。