今更だけどさ、それを前提にしない社会ってのは、いわゆる「そんな格好で出歩いている女性が悪い」世界なんだよ。
ルール(法律)があって、それを守る理性がある、というのがいろいろなものを自由にしているんだよ。
だから、それぞれの内心がどんなに自分にとって気持ち悪いものだとしても、それを理解する必要なんて最初っからない。仮に理解しなければならないとしたら、「規範的な内心」以外は法律で規制すべきだろう。ところで、あなたの内心は本当に規範的なのだろうか。
理性を疑うのではなく、理性を守らせる仕組みを作るのが社会の機能だ。
ところで、そうであるならば本質的には権力による「監視」についても特に問題がない。なぜなら、事が起きた場合にのみその監視は有効になるし、そうでない限り、そもそも誰も「確認しない」し、「目的外の利用はされない」。ところが、現実はそうではないことがほとんどだから問題になる。ドライブレコーダーなんかは自分自身を監視していて、目的外の使用はそう簡単にはされないからこそ、「安全弁」として信用して使っている人がほとんどだ。権力(という言い方が気持ち悪ければ、行政)による「監視」もかくあるべきだけど、なかなか難しいとは思う(主に信用することが)。
だからといって、罪もない他人をただその内心が窺い知れないからと言ってかけらも信用しないのでは社会なんて成り立たない。他人にそう思われて生きていきたいと思っている人なら筋は通っているけど。